「過去にどうしてもとらわれてしまう」。これは多くの方が一度は感じたことがある思いではないでしょうか。過去の失敗、傷ついた経験、人間関係の軋轢──そうした出来事が心に残り続け、何度も頭をよぎる。そして「もう終わったこと」と分かっていても、感情だけが現在に引きずられてしまう。今回は、こうした「過去にとらわれる」という苦しみについて、心の専門的な視点から紐解き、どう向き合っていくかを考えていきます。
まず前提として、「過去の出来事は、私たちに影響を与えるもの」であり、無視したり消し去ることは容易ではありません。特に、虐待やいじめ、不登校、ネグレクトといった理不尽で苦しい体験は、その後の人生にも深く関わってきます。自己否定感、対人不安、怒り、情緒の不安定さなど、心理的な症状として表に出ることもあります。
しかし、そうした過去の経験は「変えられない」という現実を認めつつも、「今の経験によって上書きすることは可能だ」という希望もまた存在します。言い換えれば、「経験は消せないが、意味づけを変えることはできる」ということです。

過去に受けた傷にとらわれてしまうと、自分を「過去の被害者」として固定してしまうことがあります。その立場に留まり続けると、現在や未来の可能性に目が向きにくくなり、結果として苦しさが慢性化してしまいます。
ここで一つの転換点となるのが、「サバイバー」という視点です。サバイバーとは、「過酷な状況を生き抜いてきた人」という意味であり、単なる被害者とは異なり、「乗り越えた」という能動的な意味が含まれます。過去の苦しみを否定せず、むしろそこから自分がどう生き延びてきたかに目を向けることで、自己肯定の第一歩が生まれるのです。
「レモンからレモネードを作る」という比喩は、苦い経験の中に価値や意味を見出そうとする姿勢を表しています。もちろん、すべての過去にポジティブな意味を見出せるわけではありません。あまりに重い出来事に対しては、無理に意味を探そうとすること自体が心を傷つけることもあります。その場合は、まずその経験を丁寧に棚卸しし、必要に応じて支援を受けながら少しずつ癒しを進めることが大切です。
ただし、過去が残す影響は一面的ではありません。たとえば、逆境を乗り越えた経験が、他者の痛みに共感する力や、感謝の心を育むきっかけになることもあります。そうした“再定義”ができたとき、過去は単なる傷ではなく、自分を形作る一部として受け入れられるようになります。
「どうしても過去を思い出してしまう」。そんな時、私たちはしばしば「またとらわれてしまった」と自責の念に陥りがちです。けれどもそれは、脳が記憶しているだけであって、「それは今ではない」という視点を持つことが大切です。
過去の想起は、脳の“誤作動”として現れることがあります。特に強い感情を伴う記憶は、ふとしたきっかけで鮮やかに思い出され、あたかも現在のように感じられるものです。しかし、その場に巻き込まれず、「これは記憶の再生にすぎない」と客観視できるようになると、少しずつ心が自由になっていきます。
過去を忘れることは難しい。でも、新たな経験によって、記憶の風景は徐々に塗り替えられていきます。今できることに目を向け、自分自身が主体的に選んだ経験を積み重ねていくことが、上書きの第一歩になります。
重要なのは、「今ここ」に集中すること。過去ではなく、未来でもなく、「今」という時間の中に身を置くことで、少しずつ自分の足元が確かになっていきます。また、自分を大切にできる環境──搾取されない職場や関係性を選ぶことも、心の回復には欠かせない要素です。

過去にとらわれるというのは、決して特別なことではありません。それは「人間らしい反応」であり、その過去があったからこそ今の自分があるという側面もあるでしょう。けれどもその一方で、「過去のために今を犠牲にしない」ための視点もまた、私たちには必要です。
過去の記憶と今の現実、その間をどう生きるか。答えは一つではありませんが、「今できる経験を重ねること」、そして「自分の価値を再発見していくこと」は、確実に未来の自分を支える土台となるはずです。