「恐怖症」とは、特定のものや状況に対して過剰な恐怖を抱いてしまう精神的な状態を指します。恐怖があまりに強く、日常生活に支障をきたすようになると、それは単なる苦手ではなく治療を要する心の問題と捉えられます。恐怖症には実にさまざまな種類がありますがその中の一つに「嘔吐恐怖症(おうときょうふしょう)」があります。
嘔吐恐怖症とは、「吐くこと」に対して極度の恐怖心を抱く状態です。自分が嘔吐することへの恐れはもちろんのこと、他人が吐いているのを見ることや嘔吐を連想させる状況にすら強い不安を感じるようになります。こうした恐怖は、やがて日常生活に深刻な影響を及ぼすこともあり学校や仕事、人間関係にも支障をきたすことがあります。
本記事では、嘔吐恐怖症がどのような原因で生じるのか、そして克服するためにはどのような方法があるのかを詳しく解説していきます。

嘔吐恐怖症は、医学的には「限局性恐怖症」の一つに分類されます。これはDSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル 第5版)においても明記されており、「特定の対象や状況に対して不合理なほどの恐怖や不安を持ち、それが6ヶ月以上継続して日常生活に支障を及ぼしている場合」に診断されるものです。
嘔吐恐怖症の人は嘔吐そのものだけでなく、嘔吐するかもしれない状況や嘔吐を想像させる出来事まで過度に恐れる傾向があります。たとえば、外食、乗り物の利用、人前での発表、妊娠によるつわりなど、多くの場面で「吐いてしまったらどうしよう」という恐怖を感じ、行動範囲が著しく制限されてしまいます。中には、他人が嘔吐する場面を見ることすら耐えられず飲み会や映画館、病人の看病といったシーンも避けるようになる方もいます。このような回避行動が増えると、学校や職場、家庭での役割が果たせなくなり、本人にとって大きな苦痛となっていきます。
恐怖症の多くは、生物学的には誰もが多少は感じる「怖い」という感情が何らかのきっかけにより過剰に増幅され、脳内に深く刷り込まれてしまった結果として現れます。嘔吐恐怖症も同様で、その発症には次のような要因が関与していると考えられています。
嘔吐恐怖症のきっかけとして最もよく見られるのは、過去に強い不安やストレスの中で嘔吐を経験したことです。たとえば、人前での発表中に緊張で吐いてしまった・食中毒で激しく嘔吐して怖い思いをした・乗り物酔いで苦しんだ、といった体験が恐怖として記憶に残ることがあります。
自分が体験していなくても、身近な人が吐いているのを目撃したり、それによって嫌悪感や恐怖を感じたりすることでも、嘔吐恐怖症に至ることがあります。特に感受性が高く不安傾向の強い人は、他者の体験を自分のことのように捉えてしまいやすく、恐怖が定着しやすいとされます。
嘔吐恐怖症を発症しやすい性格としては、以下のような傾向が挙げられます。
これらの性格傾向を持つ人は、体の状態が自分の意志でコントロールできなくなることに強い不安を感じやすく、嘔吐という不可抗力的な現象を特に怖がる傾向があります。
嘔吐恐怖症の人が最も苦しむのは、「吐くかもしれない」という思いからくる不安とそれに伴う身体症状です。具体的には以下のような症状が現れることがあります。
こうした症状は「パニック発作」と呼ばれ、恐怖に対する身体の過剰反応です。一度でも強い発作を経験すると、「また同じことが起きたらどうしよう」と不安が強まりさらなる回避行動を招きます。こうして悪循環が形成されてしまうのです。

嘔吐が苦手であることは多くの人にとって自然な感覚ですが、それが日常生活を大きく制限するほどのものであれば専門的な治療が必要になります。DSM-5では、「その恐怖が過剰であり、社会生活や職業生活に明らかな支障をきたしていること」が診断のポイントとされています。たとえば、「外食に行けない」「電車に乗れない」「子どもの看病ができない」といった具体的な問題がある場合、恐怖症としての治療対象とみなされます。
嘔吐恐怖症の克服には、大きく分けて2つのアプローチが必要です。
嘔吐恐怖症の人は、「嘔吐=極端に恐ろしいもの」「吐いたら人生が終わる」などといった極端な思考を持っていることが多くあります。まずはこうした認知の歪みに気づき、「嘔吐は誰にでも起こる可能性のある、身体の自然な反応である」と捉え直すことが大切です。
認知行動療法(CBT)では、恐怖のもとになっている考え方や信念を整理し、より現実的で柔軟な思考へと導いていく手法が取られます。
理屈だけで大丈夫だと思えるようになっても実際の行動でそれを体験しなければ脳は安心してくれません。こういった場合、徐々に恐怖を感じる状況に慣れていく「曝露療法」が必要です。たとえば、最初は「嘔吐シーンの描写を読む」といった軽い課題から始め次第に「嘔吐に関する動画を観る」「人混みに出かける」「乗り物に乗ってみる」といった実践的なステップへと進んでいきます。
無理のない範囲で段階的に行うことが成功の鍵です。
嘔吐恐怖症は、単なる吐くのが苦手、というレベルではなく、日常生活に大きな支障を与える深刻な心の病です。その発症には個人の体験や性格が関係しており、誰にでも起こりうる可能性があります。
しかし、適切な認知の修正と行動療法を組み合わせることで多くの人が少しずつ症状を改善し、再び自由な生活を取り戻しています。
嘔吐恐怖症に悩んでいる方は、まずは専門家に相談することから一歩を踏み出してみてください。決して一人で悩む必要はありません。