「私、発達障害かも」と言い張る人にモヤモヤする理由とその対応策
〜ADHD・ASD・アスペルガー症候群を正しく理解するために〜
近年、「私、ADHDかもしれない」「アスペルガーっぽいって言われた」といった言葉を耳にする機会が増えてきました。こうした自己申告は、特にSNSや職場などで見受けられ、発達障害に関する認知度の高まりを背景にしていると言えるでしょう。
しかし、実際に医療機関で診断を受けていないにもかかわらず、「自分は発達障害だ」と主張する人たちに、違和感やモヤモヤを抱く方も少なくありません。ときには、「本当に困っている人の気持ちが軽視されているのでは?」と憤りを感じる場面もあるでしょう。
この記事では、「自称発達障害」と呼ばれる人々の心理や背景に注目し、その言動の理由、そして実際に向き合うときの適切な対応策について丁寧に解説していきます。

まず前提として、「発達障害」とはどのような特性を指すのかを整理しておきましょう。
発達障害とは、生まれつき脳の一部の機能に偏りがあることで、日常生活や社会生活に困難を抱える障害です。代表的なものとしては、以下のようなタイプがあります。
これらの障害は外見からは分かりにくく、「努力不足」と誤解されることも多いため、本人の苦悩は想像以上に大きなものです。
一方で、医師の診断を受けていないにもかかわらず、自ら「私は発達障害だ」と名乗る人がいます。こうした人々は時に「ファッション発達障害」と揶揄されることもあります。SNSや職場などでその数が増えている現状があり、正式な診断の有無に関係なく「発達障害っぽいから仕方ない」と自己正当化の材料として使われることもあります。
では、なぜそのような「自称」が生まれるのでしょうか?

最もよく見られるのが、「失敗やミスの責任を障害のせいにしたい」という心理です。例えば、職場でのミスや人間関係のトラブルを、「自分はADHDだからしょうがない」と説明することで、自責の念や他者からの非難を避けようとするケースです。
このような人は、発達障害に対する知識が中途半端であり、「発達障害=何をしても許される」といった誤った認識を持っている可能性があります。
ある程度の発達特性を自覚しており、それが苦しみの原因となっている人もいます。そうした人が「自分は発達障害かもしれない」と考えることで、長年の苦労に理由を見出し、安心感を得ようとしている場合があります。
ただし、これは必ずしも悪意があるわけではなく、自分を理解しようとする過程の一部とも言えます。しかし、周囲から見ると「発達障害であることに甘えている」と感じられてしまうこともあります。
近年、発達障害の当事者がその特性を活かして成功している事例が注目されることも増えています。例えば、創造性の高さや独自の視点などが評価される場面です。
そうした成功例だけが拡散され、「発達障害=個性であり強み」といったイメージが先行することで、「自分もそうかもしれない」と憧れに近い感情を抱く人もいます。
しかし当然ながら、発達障害には日常生活での困難や苦悩も数多く存在します。良い面だけに注目し、「自分も発達障害になりたい」と考えるのは、当事者に対する理解不足と言わざるを得ません。

自称発達障害の発言に対して苛立ちや不快感を覚えるのは当然のことです。しかし、多くの場合、本人に悪気があるわけではなく、むしろ悩みや不安を抱えていることもあります。まずは感情的に反応するのではなく、冷静に相手の話を聞くことが大切です。
自分が発達障害かもしれないと悩んでいる人には、専門の医療機関での相談を勧めるのも一つの方法です。実際に診断を受けて、自身の状態を客観的に知ることが、自己理解と適切な支援につながるからです。
また、未診断であっても、困りごとがある場合には環境調整や業務の工夫などでサポートできることもあります。
「診断がある・ない」にとらわれ過ぎず、その人が働きやすく、安心して過ごせる環境を整えていく姿勢が大切です。
もし、自称発達障害の発言が当事者にとって傷つく内容であれば、その気持ちを率直に伝えることも選択肢のひとつです。
「発達障害の診断を受けた立場からすると、その言い方は少しつらい」というように、あくまで個人の感情として伝えることで、相手に気づきを与えることができる場合もあります。

発達障害という言葉が広く知られるようになった一方で、その本質や背景、当事者が直面する困難については、まだ十分に理解されているとは言いがたい現状があります。
SNSなどの断片的な情報だけではなく、信頼できる専門機関や書籍などから正しい知識を得ることが求められます。
「発達障害であるかどうか」だけではなく、「その人がどのような支援を必要としているのか」「どうすれば共に生きやすい社会を築けるか」を考えていくことが、真の理解と共生につながっていくのではないでしょうか。

自称発達障害の人々に対して、苛立ちを感じることもあるかもしれませんが、彼らもまた何らかの不安や生きづらさを抱えている可能性があります。そして、真の発達障害の当事者にとっては、自分の困難や苦労が軽く見られてしまうように感じられることもあります。
だからこそ、発達障害に関する正しい知識を持ち、誰もが安心して過ごせる社会の在り方を考えていくことが大切です。共に生きるための理解と対話を、私たちは一歩ずつ積み重ねていく必要があります。