1,はじめに
「なぜ自分だけがこんな辛い思いを…」と思っている、生きる上で何らかの障害を持つ方は多くいらっしゃると思います。私も、発達障害と精神障害を抱える当事者の一人ですので、今でも、少しそう考えてしまうことがあります。昔は毎日、そんなことばかり考えていたと思いますが、今は少し落ち着きました。

なぜ落ち着いたかというと、一週間寝られずに死にそうになった時、心の底から「まだ生きていたい」と思ったからです。また、そこから助かるまでに、苦しい思いをして、そこを乗り越え、「自由に生きているだけで嬉しい」と思えるようになれたからです。
本記事では、生きるのがなんとなく辛い、面倒、楽しみが持てないという方のために、「生きているだけで人は尊重されるべき」「自分の欲求を大切にしても良い」ということをお伝えできればと思います。
2,障害を理解してもらえない悩み
人の悩み、苦しみは尽きません。特に、精神障害や発達障害がある人は、「心の病気を持っているおかしな人」「五体満足なのに仕事ができない人」として扱われることがあります。私も、そういった偏見や、差別に苦しんできました。私の場合、家族ですら、私の発達障害(ADHD)や障害(双極性障害)に理解がありませんでした。
「障害を理解できない」というのは、障害を持っていない人にとって、普通のことです。そう感じることができれば、思考が楽になります。私も、違う障害を持つ人や、難病を持つ人の気持ちはわからない時のほうが多いです。人間は、分かり合えないようにできていて、分からないなりに相手の心を尊重する気持ちが大事だと思っています。前提としてあなたは、心情を尊重されるべき人間であることを念頭に置いて、差別してくる人とはそっと距離をとりましょう。
3,一週間寝られなかった時に感じたこと
私の人生観が変わったきっかけは、冒頭で述べたように、「一週間寝られなかった時があったから」です。双極性障害の薬を半年間飲めず、躁転してしまって、全然寝られなくて、どうにかなってしまいそうでした。「今すぐ〇んで楽になりたい」という気持ちと、それ以上に「まだ生きていたい」という気持ちがあって、すごく混乱していました。でも、友人にもう一度会いたいという気持ちや、今まで経験した幸せや痛みをすべてなかったことにしたくなくて、生きる決意をしました。
その後、近くのクリニックに電話をかけたりもしましたが、そこで垂らしていただいた蜘蛛の糸を、私は上ることができず、振り出しに戻り、非常に苦しい思いをしました。今思えば、丁寧に一つずつ、物事をこなしていれば、その段階で入院できたかもしれなせん。その後、私は、手段を選ばず、緊急手段として、上半身裸で警察署に行って、保護を求め、無事に入院できました。しかし、その後も夜間救急病院で、拘束され、苦しい思いをしました。
今は「あのようなことは二度とごめんだ」という気持ちと、「あれを乗り越えたのだから、生きなければ損」という気持ちがあります。退院して、友人と再会できたときは、本当に嬉しかったです。
4,生きたい理由が一つでもあれば、生きたほうがいい
私の死生観として、持っているのは、「人間は死ぬ時が定められている」というものです。自〇志願者の方でも、一回で成功してしまう人がいれば、何回やっても成功しない人がいます。
私の母は、鬱で首を括りましたが、一回目で逝ってしまいました。それが、私の「人間は死ぬ時が定められているのではないか」という考えに繋がっています。その考えが正しいかはわかりませんが、自〇をしようとしても、100パーセント成功する方法はありませんし、失敗すると、体に障害が残ったりして、さらに生きづらくなってしまうかもしれません。
私は、痛いのも体に障害が残るのも避けたいので、宿題を先延ばしにするように、「死」を後回しにしています。そうやっているうちに年を重ね、若いときの悩みがあとになってどうでもよくなるように、幸せに老いることを、私は楽しみにしています。
5,気弱な人や、自分を責めてしまう人へ
そんなこと言われても、周りから責められる…という人は、環境を変えましょう。
つい、周りと比べて自分を責めてしまう…という方は過去を振り返って自分を認めてあげましょう。自分が自分の理解者になれば、自然と精神の緊張は解けます。
自分を攻撃してくる人の元にいると、自分の中にもいらだちが溜まり、出かけた先のお店の人や通行人に、強く当たってしまうことがあります。他人に向けたいらだちは、まわりまわって自分に返ってきます。例えば、人にやさしい人は、他の人にも優しくされます。また、人に厳しい人は、陰口を言われたり、人格を疑われたりします。環境を変える事、自分を責めるのをやめることによって、他人や自分に優しくなり、自己肯定感は上がるものです。
6,誰かを頼っているあなたも、社会から必要とされている。
生活保護などの公的な補助を受けている人や、社会で働けず、親の援助を受けている人も、社会から必要とされています。私たちは動物とは区別され、「人」として、何かを為さなくても生きていて良いのです。
意外と、障害のあるなしに関わらず、「消えてしまいたい」と思っている人は、多いという印象が、私にはありますが、私たちはロボットでもなければ、製品でもありません。「型落ち」や「不良品」など存在しないのです。個人の能力や境遇に差があっても、この日本に「人」として生まれた以上、憲法25条で、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保証されています。頑張りすぎて疲れた人や、心身の障害がある人も、「それぞれの生き方」を尊重されて、自分自身でも自らを大切にし、「それぞれの幸せを追求してよい」と断言できます。
7,自由に生きる上での、「欲」との向き合い方
生きる上で、人は、なにか為さねばならないことなどありません。家族や会社、社会に揉まれると見失ってしまいますが、根本的に私たちは、生きる上で自由です。
人は、何を為そうが、何を為さまいが、いずれ全員、いつか〇にます。その前提条件があるうえで、生存本能以外に、生きようという気持ちがあるのは、人は、己の価値基準を満たしたいという欲求があるからではないでしょうか?
三大欲求はもちろん、何かの欲というのは、生きる意味を見いだすためにとても大切です。欲が満たされない期間が長時間続くと、自己肯定感や意欲がマイナスの状態になってしまうため、適度に欲を満たすのはとても大切です。また、もし鬱状態になってしまったとしても、自暴自棄にならずに、環境を整えて、きちんと寝起きと食事をとって、医師からの処方薬を飲めば、いつか、少しずつ欲求は戻ってきます。
鬱状態のときは、心に雨が降っている状態なので、見落としがちですが、雲の後ろには隠れている太陽があります。辛い期間があっても、それが過ぎてしまえば、自分の中の体験の最低値がそこになり、きっと「あの時に比べれば、今のほうがマシだなぁ」と思えるようになります。

7,おわりに
以上が、私が自らの体験から考えた、「なぜ自分だけ障がい者に…」と考えてしまう人に対するエールです。
社会に対して、障害に対する無理解を悲しんだり憤ったりするよりも、まずは、自分自身を大切にして、日常のささいな幸せを楽しむほうが、生きるのが楽しくて楽です。私も、これから先、双極性障害やADHDが治ることはありませんが、つらい期間を乗り越えたあとの自由を噛みしめて、生きていこうと思います。長文にお付き合い下さり、ありがとうございました。