現代社会において、言葉や態度が人の心に与える影響は非常に大きなものがあります。中でも、特に精神科やメンタルヘルスの分野で近年注目を集めている言葉のひとつに「マイクロアグレッション(microaggression)」があります。
「マイクロアグレッション」とは、相手を直接的に侮辱したり明確に傷つけたりするような発言ではないものの、話し手の無意識の偏見や固定観念から発せられる、目立ちにくくても否定的なメッセージを含んだ言動のことを指します。こうした表現は一見すると何気ない一言であり、場合によっては「誉め言葉」のようにさえ聞こえることもありますが、受け手にとっては深いもやもやや違和感、不快感を生じさせることが少なくありません。

マイクロアグレッションをより具体的に理解するために、ひとつの例を見てみましょう。
Aさんは男性が多数を占める企業に新入社員として入社しました。ある日、仕事がうまくいったことを上司が評価し、「女性なのにしっかりしているね」と声をかけられます。一見すると誉められているようにも思えますが、「女性なのに」という前置きには、無意識のうちに「女性は本来しっかりしていない」という前提が含まれている可能性があります。このような発言が繰り返されることで、Aさんは理由のはっきりしないもやもやを抱え続け、最終的には会社に行けなくなってしまった、というケースです。

マイクロアグレッションという概念は、1970年代にアメリカで「目立ちにくい人種差別的な言動」を指す用語として生まれました。その後2000年代以降、対象は人種だけでなく、障がい者、若者、LGBTQ+など、社会的に少数派とされるさまざまな立場の人々へと拡大されてきました。
この言動の特徴は、「しばしば無意識に行われること」「目立ちにくく、記録や証拠に残りにくいこと」「積み重なることで心理的ストレスが深刻になること」が挙げられます。
マイクロアグレッションの具体例としては以下のようなものがあります:
これらは決して悪意から出た言葉ではないかもしれません。むしろ誉めるつもりであったり、親しみを込めて言ったものであることも多いでしょう。しかしその背後には、「外国人は日本語ができない」「若い人は頼りない」「障がい者は前向きではない」といった無意識の偏見が含まれており、受け手には否定的なメッセージとして伝わってしまうことがあります。

マイクロアグレッションの問題点は、その「小ささ」にあります。明確な悪口や暴言とは違い、違和感の程度が小さいため、周囲や本人も「それくらい大丈夫」と思いがちです。しかし、それが毎日のように積み重なっていけば、深刻なストレスや抑うつ状態へとつながっていくリスクがあります。
さらに、マイクロアグレッションが蔓延する環境では、信頼関係が損なわれ、組織内の空気が悪化し、やがて「アグレッションの連鎖」へと発展することもあります。
日本においては、この概念が本格的に注目され始めたのは2020年代に入ってからです。特にパワーハラスメント(パワハラ)への関心が高まり、その対策が進んだ中で「目立ちにくいハラスメント」への理解が求められるようになりました。ジェンダー平等や多様性への関心が高まる中、マイクロアグレッションもその一部として認識されるようになっています。

一方で、マイクロアグレッションをめぐっては「どこまでをそうと捉えるか」について意見が分かれています。
反対意見としては、
といった懸念も指摘されています。たしかに、全ての発言に気を遣いすぎてしまえば、逆に本音の交流がしにくくなってしまうリスクも存在します。
マイクロアグレッションを完全になくすことは難しいですが、「減らす努力」は可能です。ポイントは以下の3つです:
マイクロアグレッションを受けた場合、最も大切なのは「気づくこと」です。違和感やもやもやとした感情は、そのサインであることがあります。
対応としては、
など、段階的に対応することが重要です。指摘する場合も、相手の人格ではなく「言動」に焦点を当て、冷静に行うことが求められます。

「マイクロアグレッション」は、一見すると何気ない言葉でありながら、無意識の偏見や差別を含んでしまう可能性のある繊細な問題です。その影響は蓄積されることで心に深い傷を残すこともあります。
その一方で、過剰な配慮や過敏な反応がコミュニケーションの萎縮を招くという懸念もあります。だからこそ重要なのは、無意識の偏見に「気づくこと」。そして、「できる範囲で」配慮し合い、互いに対話と理解を深める努力ではないでしょうか。
私たちができることは完璧であることではなく、「気づき」「学び」「改善し続けること」です。そうした一歩一歩の積み重ねが、より寛容で健やかな社会につながっていくのではないかと考えられます