「自分は出来が悪いのではないか」と悩んだ経験は、多くの人にあるのではないでしょうか。学校や職場、さらには家庭の中でも「出来が悪い」と言われたり、自分でそう思い込んでしまうことがあります。その言葉を受けると、悔しさや辛さ、時には怒りすら込み上げてくるでしょう。
では「出来が悪い」とは、一体どういうことを指すのでしょうか。本記事では、精神科医の視点から「出来が悪い」とは何か、その背景にある人間心理、そしてそこから生じる悩みや解決のヒントについて丁寧に考えていきたいと思います。
「出来が悪い」と言われる背景には、いくつかの側面があります。例えば、
これらが繰り返されると、周囲から「使えない」「出来が悪い」と言われてしまうのです。しかし、ここで重要なのは、こうした基準が「絶対的なものではない」という点です。
例えば「ミスが多い」とは、何回以上のミスを指すのでしょうか。あるいは「空気が読めない」とは、どこまでなら許容され、どこからが問題とされるのでしょうか。実際には明確な基準はなく、状況や集団によって判断が異なります。
つまり「出来が悪い」とは、あくまで相対的な評価に過ぎないのです。

人間は誰しも「下の位置にはいたくない」という心理を持っています。例えば30人のクラスがあれば、「下位10人には入りたくない」と感じる。10人の部署なら「下の2〜3人にはなりたくない」と思う。こうした心理が働くために、集団の中では必ず「出来が悪い」と位置づけられる人が出てきてしまいます。
これは特別支援学級でも同じです。特別な支援を必要とする子どもたちが集まる場であっても、その中で「上位2/3に入りたい」「下位1/3にはなりたくない」という意識は必ず生まれます。つまり、どんな集団であっても「出来が良い人」と「出来が悪い人」が相対的に分けられてしまうのです。
極端な例を挙げれば、日本でも屈指の進学校である開成中学・高校のような環境でも同じことが起こります。周囲から見れば「天才的」と評価される生徒であっても、その内部では「お前は出来が悪い」と扱われてしまう人が必ずいます。これは人間社会に普遍的に存在する構造なのです。

「出来が悪い」と評価されること自体は、どの集団でも起こり得る自然な現象です。しかし、それが原因で心を病んでしまう場合があります。
特に問題となるのは、
こうした二次的な影響を「二次障害」と呼びます。本来は単なる「相対的な位置づけ」でしかないはずの「出来が悪い」という評価が、精神的なダメージを与え、深刻な症状にまで発展することがあるのです。
では、もし自分が「出来が悪い」と感じて辛い思いをしているとしたら、どのように考えれば良いのでしょうか。
まず一つ大切なのは、「自分は努力してレベルの高い集団に所属している」という視点です。
たとえば、進学校に通っているからこそ「自分は出来が悪い」と言われる。職場でも、周囲のレベルが高いからこそ「自分は劣っている」と思ってしまう。これは、言い換えれば自分が背伸びをして頑張っている証拠でもあるのです。
むしろ、本当に挑戦していなければ「出来が悪い」とさえ言われないかもしれません。厳しい環境の中で踏ん張っていること自体、十分に価値ある姿勢なのです。
ただし、あまりに辛く、心身に不調が出てしまう場合は注意が必要です。そのようなときには、所属する集団のレベルを下げるという選択も考えるべきです。
学校であれば普通学級から支援学級へ、職場であればより自分に合った部署や会社へ。こうした移動は「逃げ」ではなく、むしろ自分を守るための大切な工夫です。
無理に高いレベルにとどまり続けることで二次障害を起こしてしまえば、回復には時間がかかり、苦しみは長引きます。そうなる前に「環境を変える」という視点を持つことは、生き延びるために極めて重要な戦略なのです。

結局のところ、「出来が悪い」という言葉は相対的な評価に過ぎません。どの集団にも必ず「出来が悪い」とされる人が生まれる以上、それは社会の仕組みによるものであり、その人の存在価値を否定するものではありません。
むしろ「出来が悪い」と言われる人ほど、その集団のレベルに食らいついて必死に頑張っている可能性が高いのです。そう考えると、むしろ誇るべきことではないでしょうか。
「出来が悪い」と言われて辛い思いをしている人に伝えたいのは、次の3点です。
誰しもが「出来が悪い」と言われ得る世界に生きています。その中で大切なのは、自分を追い詰めすぎず、環境との距離を上手に調整しながら生きることです。
「出来が悪い」と思うときこそ、自分は努力を続けている証拠であり、人としての価値を失うものではありません。むしろ、その姿勢こそが誇るべき強さなのです。