――三大ネットワークを理解する意義――
私たちの脳は、一つの場所が単独で働いているのではなく、複数の領域が同時に連動しながら機能しています。近年の脳科学研究では、この連動の仕組みを「脳内ネットワーク」と呼び、さまざまな研究が進められています。こうした知見は直接的に病気の治療に役立つものではありません。しかし、精神疾患を抱える方や、そのご家族、あるいは精神の不調に関心を持つ方にとって、脳内ネットワークの仕組みを知っておくことは、自分や大切な人を理解する手がかりとなるでしょう。
特に、精神医学や神経科学の分野で注目されているのが「三大ネットワーク」と呼ばれるものです。これは、人間の心の働きや精神疾患との関連が深いと考えられている三つの主要なネットワークのことを指します。本記事では、それぞれのネットワークの特徴と、精神疾患との関わりについて解説していきます。

最初に紹介するのは「デフォルトモードネットワーク(Default Mode Network:DMN)」です。
このネットワークは、私たちが“何もしていないとき”に活発に働くとされています。具体的には、ぼんやりと過去を思い出したり、将来の出来事を想像したり、自分自身について考えたりするような場面です。
一見すると無駄に思える「ぼーっとする時間」ですが、実はとても大切な意味があります。脳はこのとき、自分の記憶や経験を整理し、将来に備えるためのシミュレーションを行っています。つまり、DMNは「自己の物語」を再構築する役割を担っているのです。
しかし、DMNが過剰に働きすぎると問題も生じます。例えば、うつ病の患者さんでは、過去の失敗や嫌な出来事を繰り返し思い出し、そこから抜け出せなくなる「反芻思考(はんすうしこう)」が特徴的に見られます。これは、DMNの活動が必要以上に強まってしまった状態だと考えられています。したがって、DMNは「適度に働くこと」が大切であり、過剰でも不足でも心のバランスを崩す可能性があるのです。

二つ目は「サリエンスネットワーク(Salience Network:SN)」です。サリエンスとは「重要性」や「顕著さ」という意味を持ちます。SNはその名の通り、私たちの周囲の情報や内面の感覚の中から「何が重要か」を見極め、取捨選択する機能を担っています。
さらに重要なのは、このネットワークが「スイッチング」の役割を持っている点です。先ほどのDMN(内的な思考の世界)と、次に紹介するセントラルエグゼクティブネットワーク(外的な課題処理の世界)は、常に同時に働いているわけではありません。必要に応じて、どちらのネットワークを優先するかを切り替える司令塔のような役割を果たすのがSNです。
もしこのスイッチがうまく機能しなくなると、心の状態にも影響が及びます。例えば、双極性障害では気分の浮き沈みが激しく、切り替えが難しくなることがあります。また、ADHD(注意欠如・多動症)の人では、課題に集中するべき場面で気持ちを切り替えられない、あるいは逆に注意を持続できないといった困難が生じます。こうした症状の背景には、SNの働きの不具合が関係していると考えられています。
三つ目は「セントラルエグゼクティブネットワーク(Central Executive Network:CEN)」です。これは、目の前の課題に集中し、問題解決や意思決定を行うときに働くネットワークです。私たちが仕事や勉強に取り組むとき、あるいは難しい選択をするときに中心的に機能しているのがこのCENです。
CENが適切に働くことで、私たちは論理的に考えたり、長期的な目標に向けて計画を立てたりできます。逆にCENの働きが低下すると、集中力の欠如や判断力の低下といった問題が現れることがあります。うつ病の患者さんの中には、注意力が散漫になり、日常的な作業が困難になる方もいますが、これはCENの機能低下が一因だと考えられています。

では、こうしたネットワークがどのようにして発見されたのでしょうか。その背景には「機能的MRI(fMRI)」の発展があります。fMRIは、脳の血流変化を捉えることで、どの領域が活動しているかをリアルタイムに可視化できる技術です。これにより、脳が安静時と課題遂行時で異なる活動パターンを示すことが明らかになり、DMN・SN・CENという三大ネットワークの概念が提唱されました。
さらに研究が進む中で、うつ病と双極性障害は似て非なる病気であることが、脳内ネットワークの観点からも示されています。見かけ上の症状は重なる部分がありますが、脳内ネットワークの働き方には異なる特徴があるのです。将来的には、fMRIを用いた客観的な診断が可能になるかもしれません。
ここまで紹介してきたように、脳の三大ネットワークは私たちの心の働きと密接に関わっています。もちろん、現時点では「ネットワークを理解したからといって、すぐに治療に役立つ」わけではありません。しかし、精神疾患に悩む方やそのご家族にとっては、自分や相手の状態を理解する助けになるでしょう。
例えば、「ぼーっとする時間が必要なのは脳が自己整理をしているからだ」と知っていれば、休むことに罪悪感を覚えずに済むかもしれません。また、「切り替えが難しいのは意思の弱さではなく脳のネットワークの働きによるものだ」と理解できれば、自己否定を和らげることにもつながるでしょう。
脳科学はまだ発展途上の分野ですが、こうした知識を少しずつ取り入れることで、精神疾患を抱える人への理解や共感が広がっていくことを期待したいものです。

脳は単一の部位で働くのではなく、複数の領域がネットワークを形成し、連動しながら心の機能を支えています。
これら三大ネットワークの理解は、精神疾患を直接治すものではありません。しかし、心の仕組みを知ることは、自分や他者を理解する大切な一歩となります。脳科学の進展とともに、精神医療の未来が少しずつ開かれていくことを期待したいところです。