精神疾患は一過性のものではなく、持病として長く向き合っていく必要のある病気です。2000年代の初頭、「うつ病は心の風邪」というキャッチコピーが広まりました。これは、製薬会社が新たに登場させたSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)という抗うつ薬を普及させるために行った大規模なプロモーションの一環でした。当時の医学部生や医療関係者にとっても印象的なフレーズであり、世間一般にも急速に浸透していきました。
しかし、「うつは心の風邪」という表現は誤解を招きやすいものでした。風邪であれば数日から1週間で回復しますが、うつ病はそのような短期間で治る病気ではありません。精神疾患は根本的に慢性的な要素を含み、体質や環境要因と密接に関わっているのです。

人間の脳は神経細胞のネットワークによって機能しています。神経と神経の間で情報をやり取りするために必要なのが「神経伝達物質」です。代表的なものにはドーパミン、セロトニン、ノルアドレナリン、アドレナリン、ヒスタミンなどがあり、これらが複雑に作用し合うことで感情や行動が形作られます。
精神疾患は、この神経伝達系のどこかに「脆弱性(弱さ)」があることで発症しやすくなります。例えば、
といった形で現れることが知られています。ただし、脆弱性を持っていても必ず発症するとは限りません。そこに大きな影響を与えるのが「ストレス」です。
ストレスが脳のネットワークに過剰な負荷をかけると、脆弱性が顕在化し、症状として現れるのです。つまり、精神疾患の発症は「脳の持つ脆弱性 × ストレス」の相互作用で決まると考えられます。

ストレスは誰にでもかかるものであり、脳の回路を「どれくらい回すか」によって病気として現れるかどうかが決まります。少しのストレスで症状が出る人もいれば、強いストレスを長期間受け続けて初めて症状が出る人もいます。
これは糖尿病と似ています。糖尿病を持つ人は日常的に食事や生活習慣に気を配っていますが、それは不幸だからではなく、自分の健康を守るためです。精神疾患も同様に、脳の脆弱性を理解し、日常的にストレスを調整することで症状を和らげることができるのです。

ストレスをコントロールする第一歩は、自分の状態を知ることです。そこで有効なのが「フェイススケール」と呼ばれる方法です。これは、表情のイラストを5段階ほどに分けて、自分の気分やストレス度合いを可視化するものです。
このように日々自分の状態をチェックし、ストレスの原因となる出来事と合わせて記録していくことで、自分の心身の負荷をモニタリングできます。そして「この時期は負担が大きかったから休もう」といった調整を行うことで、病気の悪化を防ぐことにつながります。
精神疾患において大切なのは「ストレスをなくすこと」ではなく「ストレスをうまくコントロールすること」です。例えば、友人からの誘いがあったとき、自分の状態を理解していれば「今はストレスが大きいから休もう」と判断できますし、逆に「最近は余裕があるから出かけよう」と積極的に行動することもできます。
ストレス管理を必要とする人は「可哀そう」なのではありません。むしろ、自分の体調を理解し、コントロールすることは自分にとってプラスになります。糖尿病の人が食事に注意するのと同じように、精神疾患を抱える人がストレスに配慮することは、より良い生活を送るための前向きな工夫なのです。

精神疾患は決して特別なものではありません。誰もが脳の脆弱性を抱えており、ストレスのかかり方次第で症状が出る可能性があります。統合失調症、双極性障害、うつ病といった診断名の違いは、脳のどの回路に脆弱性があり、どのようにストレスが作用したかによる「表現型の違い」にすぎません。
大切なのは、病気を「治す」ことだけに固執するのではなく、自分の心身の状態を理解し、ストレスと上手に付き合っていくことです。ストレスマネジメントの成果は必ず自分自身に返ってきます。精神疾患を持つ人も、そうでない人も、日常生活の中で自分の心の状態を観察し、無理のない範囲で調整していく。その積み重ねこそが、精神疾患と向き合う最も確実な方法だと言えるでしょう。