子どもを愛せない親について

はじめに

はじめに

「親に愛されなかった」と感じ、心に深い傷を抱えている方は少なくありません。子どもにとって親の愛情は生きる基盤であり、それを実感できなかった経験は、大人になってからも自己肯定感の低下や人間関係の不安につながることがあります。
一方で、「自分は親であるにもかかわらず、なぜか子どもを愛せない」と苦しむ方も確かに存在します。今回はこのテーマを、親の立場に立って考えながら整理していきたいと思います。

親が子を愛するということ

親が子を愛するということ

「親が子どもを愛する」と言うと、多くの人はそれを「自然に湧き上がる無償の感情」だと捉えるでしょう。友人に向ける好意や、恋愛で抱く情熱とは全く異なる種類のものです。
母親には「母性本能」、父親には「父性本能」と呼ばれる感覚があり、これは動物的な本能に基づいたものだと考えられています。母親であれば「子どものためなら自分の命を犠牲にしてもいい」と思える強い愛情、父親であれば「家族を守り育てていく」という強い責任感。これらは自然な感覚として備わる場合も多くあります。

しかし、すべての親がその本能を自動的に持てるわけではありません。現実には「子どもに対して自然に愛情が湧かない」と苦しむ親もいるのです。

本能が働かない親の苦しみ

本能が働かない親の苦しみ

子どもへの愛情が自然に湧かないと、自分を「欠陥人間なのではないか」と責めてしまう方も少なくありません。周囲から「親なら子どもを愛して当然」と言われれば言われるほど、その葛藤は深まります。

本能的な父性や母性が備わらなかった場合、子育ては「理性」によって支えられることになります。つまり、義務感や責任感、あるいは人としての思いやりによって子どもに向き合っていくのです。これは非常に大変な作業です。なぜなら、人間も動物の一種であり、本能に従って生きる方がずっと楽だからです。

食べたいときに食べ、眠りたいときに眠り、欲望のままに行動する方が自然で心地よいのは事実です。にもかかわらず、本能が伴わない中で理性を働かせ続け、子育てという責任を果たしている親御さんは、計り知れない努力を日々重ねているのです。

「動物としてのエラー」と「人としての努力」

動物的な観点から見れば、子どもに愛情を持てないというのは“エラー”と表現できるかもしれません。動物であれば、自分の子どもを守らなければ種を存続させることができないからです。

しかし、人間は本能だけで生きているわけではありません。理性や思考力を持ち、本能が働かない部分を補うことができます。したがって、動物的にはエラーであっても、人間としては決して欠陥ではありません。むしろ、愛情が自然に湧かないにもかかわらず理性で子育てを続けているということは、非常に尊い努力なのです。

子ども側から見た視点

子ども側から見た視点

「親に愛されなかった」と感じて苦しんでいる方にとっても、この視点は一つの救いになるかもしれません。
親の中には、確かに父性や母性といった本能的な感覚が備わらなかった人もいます。しかしそれは、その人が「人間として欠けている」という意味ではありません。もしかすると、あなたの親も「愛せない」という葛藤を抱えながら、必死に理性で子育てを支えていたのかもしれません。

この背景を理解することは、過去の出来事を違う角度から捉えるきっかけになります。もちろん、愛情を感じられなかった痛みそのものが消えるわけではありません。しかし「なぜ自分は愛されなかったのか」という問いに、少しでも整理がつくことは、心の回復に役立つでしょう。

愛情の波と理性の力

人間の本能には波があります。食欲や睡眠欲、性欲など、すべての欲求は常に一定ではなく、満たされれば弱まり、不足すれば再び強まります。もし親が子どもへの愛情を「本能」だけに任せてしまえば、その波によって子育てが不安定になってしまいます。

だからこそ、理性で制御しながら一貫して子どもを育てていくことは非常に重要です。父性や母性が自然に備わっていない親御さんであっても、理性で子どもを守り育てている姿は、外から見れば「普通の親」と変わらないかもしれません。実際には、その裏に大きな努力と葛藤が隠されているのです。

親としての苦しみを認めること

「子どもを愛せない」と苦しむ親御さんにとって大切なのは、自分を責め続けるのではなく、まず「自分は今こういう状態にある」と認めることです。その上で、どうすれば子どもに健やかな環境を与えられるのかを考え、必要なら専門家の支援を受けることも一つの方法です。

悩みながらも子どもに向き合おうとする姿勢そのものが、すでに尊いものです。無償の愛が自然に湧かないことは決して恥ではなく、それを理性で補い続けることは人間として大きな力を示しているのです。

おわりに

おわりに

「子どもを愛せない」というテーマは、とても重く、また触れる人の心を揺さぶるものです。しかし、現実にそのような苦しみを抱えている親がいることを無視するわけにはいきません。

親に愛されなかったと感じている人は、「自分のせいではなかった」と少しでも理解できるかもしれませんし、子どもを愛せないと悩む親は「理性で支えている自分の努力は尊い」と気づけるかもしれません。

動物的には“エラー”でも、人間としては“努力”で補える。
この視点を持つことで、親と子の双方が少しでも心を軽くできることを願っています。