トラウマ治療について

トラウマ治療について

トラウマ治療と心の回復 ― 再体験と信頼関係の重要性

精神科領域における数多くの疾患、その根底にある大きな要因の一つが「トラウマ」であると考えられています。過去に経験した強い心理的負荷、すなわち虐待や暴力、パワハラといった出来事が、その後の人生に長く影を落とし、心の健康を脅かし続けることは珍しくありません。この記事では、トラウマの本質と治療の在り方、そして患者と治療者の信頼関係がいかに大切であるかを解説していきます。

精神疾患とトラウマの関係

精神疾患とトラウマの関係

精神疾患は単なる「脳の病気」ではありません。もちろん、脳の構造や神経伝達物質の働きにエラーが生じることも大きな要素ですが、それに「負荷」が加わることで病気が発症します。この負荷とは、現在、過去、未来にわたるストレスの総体です。

例えば、過去の虐待経験や性暴力被害は「過去の負荷」として心を蝕みます。一方、未来に対する不安、特に中高年以降に顕著となる「老い」や「死」への恐怖は「未来の負荷」として人を追い詰めます。そして日々の職場や人間関係から受けるプレッシャーは「現在の負荷」としてのしかかります。

こうした負荷に脳が耐えられなくなったとき、鬱病・統合失調症・双極性障害といった精神疾患が発症します。どの疾患として現れるかは、個々人が持つ「脳の脆弱性」に依存します。ドーパミン系が弱ければ統合失調症、セロトニン系が弱ければ鬱病、両者のバランスが崩れると双極性障害が起こりやすいとされています。

過去の記憶がもたらす苦しみ

過去の記憶がもたらす苦しみ

トラウマとは、過去の体験が記憶として心に深く刻まれ、それが現在に悪影響を及ぼす状態です。虐待をしていた親の顔が忘れられない、性加害を行った相手の存在が頭から離れない、ブラック企業での上司の叱責が夢に出てくる――こうした記憶は、当事者にとっては「今そこにある危機」と同等のストレスを与えます。

その結果、不安やパニック発作といった症状が繰り返し現れ、日常生活に大きな支障をきたします。トラウマを経験していない人にとっては理解が難しいかもしれませんが、当事者にとっては切実であり、専門的な支援を必要とする重大な問題なのです。

トラウマ治療の基本 ― 再体験と整理

トラウマ治療において最も大切なのは、過去の記憶を「再体験」し、それを「語り、整理する」ことです。過去の出来事を一切振り返らず、体を鍛えたり楽しい生活を送ったりするだけでは、根本的な解決には至りません。むしろ記憶と正面から向き合い、それを安全な場で再構成する過程が必要となります。

ただし、この作業は非常に苦痛を伴います。記憶を掘り下げ過ぎれば、かえってトラウマが定着し症状が悪化する危険もあります。そのため、どの程度まで再体験させるか、その「さじ加減」が専門家の力量に委ねられます。治療は単なる「思い出し」ではなく、「安全と現在の自分」を結びつける作業なのです。

EMDRという手法

EMDRという手法

現代のトラウマ治療で注目される手法の一つに「EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)」があります。これは、過去の記憶を語る際に視線を左右に動かすなど外部刺激を加えることで、トラウマの記憶に完全に支配されないようにする技法です。

たとえば、性暴力の記憶を語っている最中に治療者が手を挙げて視線を誘導すると、患者の注意は一部そちらに向き、過去の記憶への没入が中断されます。これはバスケットボールのドリブルをしながら状況判断を行う練習に似ており、負荷が分散することで冷静さを保ちながら過去と向き合えるのです。

EMDRは万能ではありませんが、適切に行えばトラウマの再体験を安全に進めるための大きな助けとなります。

信頼関係の重要性

信頼関係の重要性

いかに優れた技法があっても、治療において最も大切なのは「治療者と患者の信頼関係」です。信頼できない相手に心の奥深くをさらけ出すことは不可能です。特にトラウマを抱える人にとって、他者に心を開くこと自体が大きな挑戦となります。

したがって、治療者はすぐにトラウマの核心に触れるのではなく、まずは何度も面接を重ね、安心できる関係を築く必要があります。「この医師なら一緒に進めそうだ」と感じられるようになって初めて、トラウマ治療が実を結ぶのです。信頼関係があれば、多少治療が踏み込み過ぎた場合でも、その絆が支えとなり、回復の道を歩み続けることができます。

まとめ

トラウマ治療は、単なる症状の抑え込みではなく、過去の記憶と安全に向き合い、それを整理して「今の自分」に統合していくプロセスです。そのためには再体験と語りが不可欠であり、同時に患者と治療者の間に揺るぎない信頼関係が築かれていることが前提となります。

未来への不安、現在のストレス、過去の記憶――これら三つの負荷が人の心を追い詰めます。その中で特に「過去のトラウマ」をどう扱うかは、精神科医療における最も重要なテーマの一つです。安全な環境の中で記憶を掘り下げ、整理し、そして少しずつ軽くしていく。その道のりは険しいですが、信頼できる治療者と共に歩むことで、心は再び自由を取り戻すことができるのです。