近年、社会の中で「男女平等」という考え方は広く浸透し、当たり前のものとして受け止められるようになりました。以前は「男性は総合職、女性は一般職」といった区分が当然とされていた時代がありましたが、今ではそうした制度的な区別はほとんど姿を消しています。女性も男性と同じようにキャリアを積み、責任ある仕事に就けるようになったことは、社会にとって大きな前進であり、とても良い変化だと言えるでしょう。
しかし一方で、この「平等」という考え方が過剰に進みすぎているのではないか、と感じる場面も増えてきました。あえて今回は、「男女の役割とは何か?」というテーマを取り上げ、私自身の考えをお伝えしていきたいと思います。

男女雇用機会均等法の施行をきっかけに、職場では性別による明確な区別が徐々になくなっていきました。私の親世代では、女性は「一般職」として補助的な業務に就くことが多く、転勤や海外勤務などを伴う総合職は男性の仕事とされていました。
しかし、中には「女性でもバリバリ働きたい」「海外で挑戦したい」と思う方も多くいました。それでも「女性だから一般職にいなさい」と制限されていたのです。そうした不平等をなくすために、男女平等が強く求められたのは当然の流れでした。
ところが、近年では「平等」を行き過ぎた形で適用しようとする動きも目につきます。たとえばスポーツの世界で、身体的には男性であった人が女性競技に参加する事例などは、その象徴的な例だと言えるでしょう。

ここで大前提として押さえておきたいのは、男性と女性は生物学的に大きく異なる存在であるということです。骨格や筋肉量、体力や瞬発力など、平均的に見ても大きな差があります。
仮に女性が男性ホルモンを投与しても、完全に男性と同じ身体能力に近づけるわけではありません。逆も同様で、男性が女性の身体的特性に完全に一致することは難しいのです。
もし男性が本気で力を振るえば、女性を力で屈服させることができてしまう――これは動物的な本能に根ざした現実でもあります。こうした生物学的な違いを無視し、「すべて同じだ」とするのは、理性的に考えても無理があるのではないでしょうか。
過去を振り返ると、男性の役割が特に強調されるのは戦争や社会的混乱の時代でした。力で相手を制圧することが必要とされた時代には、体力的に優れた男性の特性が求められました。
しかし、現代日本は70年以上にわたり戦争を経験していません。街を歩いていて力で屈服させられるような状況もなく、平和な社会が長く続いています。
こうした時代において必要とされるのは、必ずしも「力」ではありません。むしろ、繊細さやマルチタスク能力、円滑なコミュニケーションといった女性が平均的に得意とする特性が重宝されるようになっています。結果として、現代社会は「女性が生きやすい時代」とも言えるのではないでしょうか。

もちろん、男女という枠にとらわれず、自分らしい生き方をしたい人も多くいます。性自認や性的指向が多様であることは、今や広く知られる事実です。ここで大切なのは、そうした人々に対して差別や偏見を一切なくすことです。
ただし、「差別をなくすために男女という枠組みそのものを撤廃してしまおう」という流れには疑問を感じます。なぜなら、男性として生きたい人、女性として生きたい人にとっては、その枠組みが居心地のよいものであり、拠り所にもなっているからです。
枠をなくすことは、一部の人を救うかもしれませんが、同時に別の人にとっての「生きにくさ」を生んでしまう可能性があります。
では、どうすればよいのでしょうか。私は、男女の枠組みは基本的に維持しつつ、そこに当てはまらない方々のために「小さな枠」を増やしていくことが大切だと考えます。
男性・女性という大きなカテゴリーをなくすのではなく、「男性でも女性でもない」「自分らしい在り方を尊重してほしい」という人が安心していられる場所を社会の中に増やしていく。これこそが、真に多様性を受け入れる成熟した社会の姿ではないでしょうか。
具体的な例として、スポーツ競技を考えてみましょう。もし生物学的に男性であった人が女性競技に参加すれば、身体能力の違いによって不公平が生じます。これは、性自認を否定する話ではなく、公平性をどう担保するかという問題です。
解決策の一つとしては、「第三のカテゴリー」を設けることが考えられます。男性枠、女性枠に加え、多様な性自認を持つ人々が競い合える枠を作る。こうした「小さな枠」を社会の中に少しずつ作っていくことが、現実的で公平な対応につながるのではないでしょうか。
振り返れば、かつては「男性は男性らしく」「女性は女性らしく」という枠が強すぎ、その枠から外れる人々は差別や偏見に晒されてきました。
しかし今は逆に、その枠を取り払おうとする動きが強まりすぎています。その結果、「男性でありたい」「女性でありたい」と考える人が居心地の悪さを感じたり、精神的に負担を抱えるケースもあるのです。
つまり、私たちは「過渡期」にいると言えるでしょう。これから社会が成熟していくためには、大きな枠を維持しながら、多様な人が安心していられる小さな枠を増やしていくことが必要です。
最後に改めて強調しておきたいのは、私の意見にはLGBTQの方々を差別する意図は一切ないということです。実際、私はそうした方々とも親しく交流しており、人としての関係においてアイデンティティの違いが障害になるとは感じていません。
大切なのは「人を枠に押し込めないこと」と「枠に当てはまらない人を排除しないこと」です。そして同時に、「枠そのものを否定しないこと」も重要だと考えています。

本日は「あえて言いたい!男女の役割ってあるのか?」というテーマで、私の考えをお伝えしました。
男女平等は素晴らしいことですが、「平等」と「同一視」を混同するのは避けたいところです。これからの社会は、枠を維持しつつ多様性を受け入れる方向に進んでいくべきではないでしょうか。