「自分なんて社会の迷惑なんじゃないか」「働けていない自分はお荷物なのではないか」――そんな風に思い悩む方は少なくありません。特に真面目で責任感の強い人ほど、自分が今十分に働けていなかったり、人から助けてもらって生活していたりすると、心のどこかで「自分は価値のない存在だ」と考えてしまいがちです。
ですが、私は強くお伝えしたいのです。それは決して真実ではありません。
人が生きる価値は「働けるかどうか」や「生産性があるかどうか」で決まるものではないからです。
この記事では、「社会のお荷物」という考えがなぜ間違っているのか、そしてどのように気持ちを切り替えていけばよいのかを、歴史や身近な例を交えながらお話ししていきたいと思います。

現代社会では、「一生懸命働くことこそが価値」という空気が強くあります。確かに仕事を通じて得られる達成感や社会とのつながりは大切ですし、働いている人への感謝も必要です。
けれども、「働けないから=価値がない」という考え方は本当に正しいのでしょうか。
たとえば高齢の方を考えてみてください。80歳、90歳になれば、多くの人は若い頃のように働くことは難しくなります。それでも、家族と過ごす時間や地域との交流、趣味を楽しむ姿は、誰にとってもかけがえのないものです。もし「働けない人はお荷物だ」という理屈を突き詰めれば、人生の後半にいる多くの方々は存在を否定されてしまいます。それはあまりにもおかしな考え方です。
人は誰もが、働ける時期もあれば休む時期もあります。状況や体調によってペースは変わるものです。人の価値は「今どれだけ働けるか」では測れません。

少し歴史を振り返ってみましょう。かつて日本では戦国時代のころ、平均寿命は40年ほどと言われていました。これは当時の社会全体の「豊かさ」がその程度だったということです。
ところが現代ではどうでしょうか。日本の平均寿命は80歳を超え、90歳を迎えることも珍しくなくなりました。これは人類全体の力で社会が大きく豊かになった証です。
その背景には「人が一生懸命働いたから」という側面だけではなく、機械や技術の進歩があります。
つまり現代社会の豊かさは、人間一人ひとりの「必死の努力」だけで支えられているのではなく、文明全体の進歩によって支えられているのです。
だからこそ、「自分が働けないから周りに迷惑をかけている」という考え方は、実際には正しくありません。

働いている人たちに「申し訳ない」と思う必要はありません。なぜなら、今の社会は人類全体が築いてきた文明と機械の力によって成り立っているからです。
本当に感謝すべき相手は「周りの人に迷惑をかけている自分」という発想ではなく、もっと広い意味での社会や技術の進歩です。
これらのおかげで、私たちはみんな支えられています。だから「自分はお荷物」ではなく、「文明の恩恵を一緒に受けている一人の存在」なのです。
「働けていない自分はダメだ」「周囲の負担になっている」という思い込みは、心を苦しめ、自己肯定感をどんどん下げてしまいます。ですが大切なのは、人は生きているだけで価値があるという考え方です。
たとえ今は休んでいても、あなたの存在そのものが誰かの支えになっています。家族や友人にとって、あなたがそこにいるだけで安心することだってあるのです。
人間の価値を「生産性」で測ってしまうと、誰もがいつか「役に立たない」とされる日が来てしまいます。そんな社会は誰にとっても息苦しいはずです。だからこそ、「生きているだけで尊い」という視点を持つことが必要なのです。

もし「働けないことに後ろめたさ」を感じたときは、考え方を少し変えてみましょう。
「人に迷惑をかけている」と思う代わりに、「機械や文明にありがとう」と思ってみるのです。
こうして感謝の対象を変えると、余計な罪悪感にとらわれる必要がなくなります。機械に「迷惑をかけて申し訳ない」と感じる人はいないですよね。だからこそ、感謝だけを持てばいいのです。

「自分は社会のお荷物かもしれない」と思うとき、人は深く落ち込み、自分の存在を否定しそうになります。ですがそれは誤った考えです。
どうかこのことを忘れないでください。
あなたは決してお荷物なんかではありません。生きているだけで十分に価値がある。だから胸を張って、今を生きていってほしいのです。