普通って何なのか

普通って何なのか?

普通とは何か ― 95%の中に入る安心と5%の苦しみ

「普通」という言葉は、私たちが日常生活の中で頻繁に使う表現です。
「普通にしていれば大丈夫」「普通はこうするものだ」「私は普通じゃないのかもしれない」。
そんな風に「普通」という言葉を口にしたり耳にしたりする機会は多いものの、では「普通」とは一体何を指しているのでしょうか。

「私も普通だったらこうなのに」という声を目にしたり、「普通って難しい」「普通って何だろう」という問いかけを受けることがあります。そこには、誰もが無意識のうちに「普通」という基準に縛られ、同時に「普通から外れてしまうのではないか」という不安を抱いている姿が映し出されています。

本記事では「普通」という概念を、心理学や社会的な習性、多様性の問題などを踏まえて考察していきたいと思います。

95%に収まるものが「普通」

統計的な観点から考えると、「普通」とはある集団における約95%の範囲に収まることだと言えます。
例えば知能指数(IQ)でいえば、IQ70から130までの範囲が「普通」とされます。この数値は全体の約95%を占め、それより下は知的障害、上は高知能とされ、いずれも「普通」から外れてしまいます。

同じことは身長や体重にも当てはまります。日本人男性の場合、150cmから190cmの間にほとんどの人が収まり、平均はおよそ170cm。これが「普通」と呼ばれる範囲です。体重も50kgから100kgの間に大半の人が含まれ、平均的には75kg前後。この「95%の範囲」に収まらなければ、たとえ健康であっても「普通ではない」と見なされてしまうのです。

収入についても同様です。極端に低い場合や極端に高い場合は、やはり95%から外れてしまい「普通ではない」とラベルを貼られることになります。つまり「普通」とは、統計上の中央値を中心とした多数派のことを指しているのです。

普通から外れることの不安と排除の心理

人は社会的な動物です。群れの中で生きるために、他者との共通点を探し、「自分はここにいていいのだ」という安心感を得ようとします。その際に「95%に収まっているかどうか」が一つの基準となるのです。

逆に、集団の枠から外れてしまうと、不安や孤立感を抱くようになります。高IQの人たちが、自らの悩みや孤独を共有するために集まる会が存在するのはその象徴です。頭が良すぎることは一見すると大きな利点に思えますが、「普通」から外れることによる生きづらさは確かに存在するのです。

そして多数派に属する人々もまた、「異物を排除しよう」とする心理を働かせます。これは人間に限らず、犬や猫、蟻など群れで生きる動物に共通する習性でもあります。95%の範囲に収まらない人を異質な存在と感じ、距離を置いたり排除しようとするのです。

さらに厄介なのは、集団から上下2.5%を排除しても、残った集団の中でまた「新たな普通」を作り、その中から外れた人を再び排除するという無限の連鎖です。「普通」とは安心の象徴であると同時に、排除の起点でもあるのです。

LGBTQと「普通」の境界線

近年、社会の大きな課題となっているのがLGBTQに関する問題です。
男性が男性を好きになる、女性が女性を好きになる、あるいは性別の認識が従来の枠に収まらないといったあり方は、従来「普通」から外れたものとされてきました。その理由の一つは、やはり統計的に少数派だからです。

仮に全体の5%程度であれば、多くの人にとって「異物」と感じられてしまいます。しかしもし10%、20%の割合を占めるようになれば、それはもはや「普通」の範囲に含まれるでしょう。つまり「普通」と「異常」を分ける境界線は絶対的なものではなく、数の大小によって変化するのです。

現在、社会は「インクルーシブ(inclusive)」=「包摂」の方向へと進もうとしています。これは、多数派95%の中に少数派5%をも取り込んで「みんなで共に生きよう」とする試みです。しかし人間の本能的な部分では「少数派を排除したい」という欲求も同時に働くため、多くの人にとって違和感や抵抗感を伴うのも事実です。この「本能」と「理性」のせめぎ合いこそが、多様性をめぐる議論の難しさを生み出しているのです。

無数の5%に私たちは属している

「普通」という概念のもう一つの側面は、分野ごとに存在するという点です。
たとえばIQでは普通に含まれる人が、身長では普通から外れているかもしれません。収入や性格、外見、趣味、性的指向など、あらゆる分野に「95%と5%」の構図があります。そして人は必ずどこかの分野で「5%」に入ってしまう可能性を持っています。

つまり「普通」とは絶対的なものではなく、相対的かつ多層的なものなのです。ある場では「普通」であっても、別の場では「異物」とされる。その入れ替わりを私たちは誰しも経験するのです。だからこそ「明日は我が身」と考えることが重要です。

結び ― 普通を超えて共に生きる

「普通」とは何かを考えるとき、それは単なる統計上の95%という枠組みに過ぎないことが見えてきます。けれども人間は社会的な生き物である以上、その枠を強く意識し、そこから外れることに大きな不安を覚えます。

しかし冷静に考えてみれば、私たちは誰もが無数の分野において少数派であり、「普通」から外れる可能性を抱えています。だからこそ「普通から外れた人を排除する」のではなく、「共に生きる」方向を模索することにこそ意味があるのではないでしょうか。

インクルーシブや多様性という言葉が掲げられる背景には、人間の本能的な排除欲求を超えようとする努力があります。それは容易なことではありませんが、互いの違いを受け入れ合うことでしか社会は前に進むことができないのです。 「普通」とは、安心であり、不安の源でもある曖昧な概念です。
だからこそ一人ひとりが「普通」という言葉にとらわれすぎず、自分自身の価値を認め、他者の多様性を尊重することが大切なのではないでしょうか。