虐待対策について

虐待という言葉を聞くと、多くの人は「親が子どもを虐待する姿」を想像するでしょう。しかし、現代の日本社会ではその対象は子どもにとどまらず、高齢者への虐待という深刻な問題も浮かび上がっています。特に、子が高齢の親を虐待するケースは増加傾向にあり、その背景には精神疾患や生活困難といった複雑な要因が絡んでいます。本稿では、虐待の実態と原因、そして今後の対策について考察していきます。

虐待の多様なかたち

虐待の多様なかたち

虐待には、身体的暴力、心理的暴言、ネグレクト(育児や介護の放棄)など多様な形態があります。子どもへの虐待では、殴打や過度な叱責といった直接的な暴力が見られる一方、高齢者虐待では「食事を与えない」「病気を放置する」といったネグレクトが多く報告されています。

子ども虐待の場合、児童相談所や子ども家庭支援センターが相談窓口となりますが、高齢者虐待に関しては明確な支援体制が十分に整っていないのが現状です。保健所が介入する場合もありますが、制度的に確立されたサポート網とは言い難い状況にあります。

虐待の根本にある心理構造

虐待の根本にある心理構造

その根本には「いじめ」と同じ構造があると考えられます。いじめは、いじめる側に不満やストレスがあり、それを自分より弱い存在にぶつけることで発生します。虐待する親や子どもは、しばしば「自分が弱い」立場にあります。

家庭という閉ざされた場では、他人から咎められることが少なく、そのストレスの矛先が子どもや高齢の親に向かいやすいのです。ここで重要なのは、虐待をする親の多くが「子どもを愛していない」のではなく、「愛していても自分のストレスを処理できず、結果的に子どもにぶつけてしまう」という点です。ドラマで描かれるような憎悪からの虐待とは異なり、実際には「愛情」と「ストレス」が同居する複雑な心情の中で起きていることが多いのです。

貧困と視野の狭さ

虐待の最大の原因のひとつは「貧困」です。経済的困窮は、親や子の精神的な余裕を奪い、虐待の引き金になります。知的能力や社会的スキルに問題を抱える親は、生活保護の申請や福祉制度の活用に思い至らず、苦しい生活を自力で乗り越えようとして破綻するケースが少なくありません。

アルバイトをしてもうまくいかず、収入が途絶える。相談できる場所もなく、精神的に追い詰められていく。そうした環境下では、子どものちょっとした言動にも過剰に反応してしまい、暴力や暴言に至ることがあるのです。

したがって、虐待防止のためには、経済的支援と同時に「視野の狭さ」を補う仕組みが必要です。生活保護を受給することで最低限の生活が保障されるだけでなく、ケースワーカーが介入し、問題を客観的に整理し支援していくことは大きな意味を持ちます。

生活保護とケースワーカーの役割

生活保護とケースワーカーの役割

生活保護に対しては「国に頼るべきではない」「不正受給がある」という批判もあります。しかし、精神科医として臨床現場を見ていると、生活保護は虐待防止に直結する制度であることを強調せざるを得ません。

経済的困難を抱える家庭にとって、生活保護は単なる金銭的援助ではなく、ケースワーカーという「伴走者」を得ることでもあります。視野が狭くなりがちな状況を広げ、社会資源の利用を促し、家庭を孤立から救う。この役割は非常に大きいのです。

ただし、ケースワーカーの人数不足や負担の大きさが課題となっています。今後は生活保護制度を「入りやすく出やすい」形に改善し、ケースワーカーの配置を増やすことが求められます。

虐待者も治療対象

虐待者も治療対象

高齢者虐待では、虐待を行う側が中高年であり、認知症の初期段階や判断力の低下が見られるケースもあります。そのため、虐待者自身が医療や福祉の支援を必要とする場合が少なくありません。

つまり、被害者だけでなく加害者も同時にケアする視点が不可欠です。虐待の背景にある精神疾患や生活困難にアプローチすることで、家庭全体を救う可能性が広がります。

おわりに

虐待は、単なる家庭内の問題ではなく、社会全体が取り組むべき課題です。愛着障害や精神疾患、貧困や視野の狭さといった複数の要因が絡み合い、被害者と加害者の双方を追い詰めています。

虐待を防止するためには、経済的支援、福祉制度の拡充、そして精神科医を含む医療の介入が不可欠です。とりわけ生活保護制度の柔軟な運用とケースワーカーの増員は、現場で最も即効性のある対策といえるでしょう。

「虐待をなくす」という目標は決して容易ではありません。しかし、社会の仕組みと医療・福祉の支援を組み合わせることで、救える命や家庭は確実に増えていきます。虐待を個人の問題に矮小化せず、社会全体で支え合う仕組みを築いていくことが、今まさに求められています。