私たちは病気や障害について語るとき、「軽症」「中等症」「重症」といった表現を用います。制度の上でも、障害年金や精神障害者保健福祉手帳などでは「1級」「2級」「3級」といった区分が設けられています。一般的には、数字が小さいほど重く、数字が大きいほど軽いと理解されています。例えば障害年金の場合、国民年金では1級と2級、厚生年金では1級から3級までが存在します。ざっくり言えば「1級=部屋から出られない」「2級=家から出られない」「3級=外出はできる」といったイメージです。
統合失調症を例に挙げると、1級に相当する方は入退院を繰り返し、日常生活のほとんどが病院や自室という限定された空間で過ごされます。非常に重い状態といえるでしょう。一方で、3級に相当する方は薬を服用しながら定期的に通院を行い、障害を抱えながらも働くことが可能です。
こうした制度的な区分は理解しやすいものの、実際に患者さんが抱える「辛さ」とは必ずしも一致しません。「重症=必ず辛い」「軽症=比較的楽」とは言えないのです。ここに「病気が重い方が本当に不幸なのか」「軽ければ幸せなのか」という難しい問題が横たわっています。
まず大前提として、病気の重さと辛さにはある程度の相関関係があります。確かに1級の方の多くは日常生活に大きな制約があり、その分辛さを抱える割合は高いでしょう。しかし同じ1級でも「自分の状況をある程度受け入れて安定した生活を送っている方」もいれば、「強制的に自由を奪われたように感じ苦しんでいる方」もいます。
逆に3級の方は、生活や仕事にある程度の自由を持ちながらも、その自由さゆえに強い不安や葛藤を抱えることがあります。つまり、制度上の区分と実際の辛さは必ずしも一致せず、むしろ乖離することも少なくありません。
患者さんの「病状の重さ」と「本人の困り感」が一致しない場面はしばしば見受けられます。病気が軽いからといって患者さんが楽に暮らしているわけではなく、重いからといって必ずしも耐え難い苦しみに直面しているわけでもないのです。

人間は本来、自由を得ることで幸福になれる存在です。歴史的に見ても、人権や自由は人類が長い時間をかけて勝ち取ってきたかけがえのない価値です。しかし「何でもできる」という自由が、必ずしもすべての人にとって幸福をもたらすわけではありません。
むしろ、多くの人は「ある程度の枠組みの中で生きること」に安心感を覚えます。行動範囲や役割が決まっている方が、自分の努力の限界や到達点を理解しやすく、安心して日々を送れるのです。
重症の患者さんは、強制的にその「枠組み」が決められてしまいます。例えば「病院の中で暮らす」「家から出ない生活を送る」といった具合です。一見すると不幸に思えるかもしれませんが、中にはその枠組みの中で落ち着き、穏やかに過ごされる方も少なくありません。「これ以上は頑張らなくてもよい」と感じられることが、ある意味では心を軽くする要素になっているのです。

一方で、軽症の患者さんは社会生活を営む自由が残されています。働くことも、趣味を楽しむことも可能です。しかしその自由が、逆に強いプレッシャーとなる場合があります。
統合失調症の軽症の方では、幻覚や妄想といった陽性症状よりも、むしろ「やる気が出ない」「エネルギーが必要なときに湧いてこない」といった陰性症状が問題となります。仕事や学業の重要な場面で力を発揮できず、それを周囲に理解してもらえない辛さは大きいものです。「本来なら自由に何でもできるはずなのに、病気のために自分の力が出せない」という現実が、大きな苦しみにつながります。
つまり「自由であること」が必ずしも幸せとは限らず、「枠組みが与えられている方が楽」という人もいるのです。重症・軽症という区分だけでは語りきれない、人それぞれの適性や価値観が存在します。

最も注意が必要なのは、「あなたは軽症だから楽なはずだ」「もっと重い人もいるのだから我慢しなさい」といった言葉を決して口にしないことです。
なぜなら、患者さんの苦しみは「他人と比べてどうか」ではなく、「本人がどう感じているか」がすべてだからです。軽症であっても、病気と自由とのミスマッチに苦しんでいる方は大勢いらっしゃいます。逆に重症であっても、自分に合った枠組みの中で穏やかに暮らしている方もいます。
患者さん一人ひとりの苦しみは、他者との比較では測れません。その人の人生、その人の価値観、その人が抱える病気の特性によって大きく左右されるのです。
ここまで統合失調症を例に挙げてきましたが、この視点はうつ病やパニック障害など他の精神疾患にも共通します。
例えばうつ病では、重症の方は抑うつ気分により強い苦痛を抱えており、穏やかに過ごせるケースはほとんどありません。しかし軽症の方でも「薬を飲み続けている自分を許せない」「完璧にできない自分を受け入れられない」といった葛藤で強く苦しむ方がいます。
パニック障害の場合も同様です。発作が年に1度あるかどうかという軽症の方であっても、「次にいつ発作が起こるのか」という強い不安に日常生活が支配されることがあります。周囲から見れば「軽い状態」であっても、本人にとっては深刻な問題なのです。

病気の軽重は、診断や制度上の区分においては重要な意味を持ちます。しかし、それがそのまま本人の辛さや生活の質を示すわけではありません。
重症であっても安らぎを得ている方もいれば、軽症であっても強く苦しむ方もいます。他者との比較ではなく、「その人がどう感じ、どう苦しんでいるのか」を理解しようとする姿勢こそが大切です。
医療従事者はもちろん、支援者や家族、社会全体が「軽症だから大丈夫」「重症だから不幸せに違いない」といった先入観を捨てる必要があります。そして、患者さん一人ひとりの声に耳を傾けることが、真の支援につながるのではないでしょうか。