貧乏って辛いの?お金がないと惨めなの?

貧乏って辛いの?お金がないと惨めなの?

貧乏は本当に辛いのか?お金がないと惨めなのか?

私たちは日々の生活の中で「お金」というものから逃れることができません。食事をするにも、家に住むにも、移動するにも、必ずお金が関わってきます。だからこそ、多くの人が「お金さえあれば幸せになれる」「お金がないと不幸だ」と考えてしまいがちです。しかし果たして本当にそうなのでしょうか。今日は「貧乏は辛いのか?お金がないと惨めなのか?」というテーマで考えてみたいと思います。

「お金教」に支配される現代人

「お金教」に支配される現代人

現代社会では、まるで宗教のように「お金」を信じ、崇めている風潮があります。私はこれを「お金教」と呼んでいます。

お金をたくさん持っている人は尊敬され、少しでも裕福であれば羨ましがられる。一方で、お金が少なかったり、生活に困窮している人は、まるで人としての価値が低いかのように扱われることがあるのです。

この「お金教」の価値観に縛られてしまうと、貧乏であることはすなわち「惨めであること」と直結してしまいます。人の価値をお金の額で測ることは本来おかしな話なのですが、社会全体がそうした空気に支配されているため、抜け出すことが難しいのです。

生活保護と最低限の暮らし

生活保護と最低限の暮らし

お金と切り離せない制度の一つに「生活保護」があります。生活保護は、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を実現するための仕組みです。

地域や世帯構成によって金額は変わりますが、一人暮らしの場合でおおむね月10万〜13万円程度が支給されます。シングルマザーで子どもがいる場合は20万円以上になることもあります。この額を巡っては「働くよりも多い」「もらいすぎだ」といった批判も聞かれますが、制度の根幹は「誰もが人間らしく生きられる最低限を保障すること」にあります。

では、この10万〜13万円での生活は本当に「惨め」なのでしょうか。

月10万円で暮らせるのか?

私自身の経験からすると、十分暮らしていけると考えています。

学生時代や研修医時代には、家賃3万円ほどの狭い部屋で生活していました。その生活に不便を感じることは少なく、むしろ快適だったのです。仮に生活保護で10万円を受け取り、そのうち3万円を家賃に充てたとしても、残り7万円があります。

食費に関しても工夫すれば十分にやりくりできます。私はもやし炒めが好きで、安い米や古米、輸入米を活用すればコストは抑えられます。豆腐やもやしといった安価な食材は物価高の中でもそれほど値上がりしていません。そうしたものを中心にすれば、食費は驚くほど少なく済みます。

レジャーに関しても、走ったり筋トレをしたりするだけで十分に楽しめます。高価な趣味を持たなければ、月10万円でも余裕を持って生活できるのです。

「欲望」と「必要」の違い

「欲望」と「必要」の違い

もちろん、すべての人が同じように感じられるわけではありません。旅行が好きな人、趣味にお金をかけたい人、ギャンブルやイベントに参加したい人にとっては、10万円では足りないでしょう。

しかしここで大切なのは、「必要」と「欲望」を切り分けることです。人が生きるために最低限必要なものはそれほど多くありません。食事、住まい、健康、そして少しの楽しみ。これらを確保するだけであれば、10万円でも可能です。それ以上を望むのは「欲望」であり、それはあっても良いものですが、なければ惨めというわけではありません。

お金が幸せを保証するのか?

「お金教」に支配されると、人の価値は収入額で決まると思い込んでしまいます。年収1000万円の人は、年収100万円の人の10倍価値があるのか?そんなことはありません。

確かにお金を多く稼ぐということは、社会がその人の労働に高い対価を支払っている証拠です。しかしそれは「その人の人間としての価値」とは別の話です。

実際、年収が高くなればなるほど、その人が所属するコミュニティも変化します。1000万円稼げば、その上には2000万、3000万稼ぐ人がいます。どこまでいっても上には上がいて、比較が続く限り満たされることはありません。お金は便利で、あると安心できるものですが、幸せそのものを保証するものではないのです。

「人は生きているだけで価値がある」

「人は生きているだけで価値がある」

では、人間の価値はどこにあるのでしょうか。私は「人は生きているだけで価値がある」と考えます。

しかし、この考え方を本当に腑に落とすのは簡単ではありません。だからこそ、古来より宗教は「人間の尊さ」を説いてきました。

キリスト教では「神が人間を自らに似せて創った」とされ、すべての人間は神にとって愛しい存在とされます。親が子を無条件に愛するように、稼ぎの多い少ないは関係なく、存在そのものが尊いのです。

仏教では「輪廻転生」の中で人間に生まれることは大きな幸運とされます。人間であること自体が尊いのです。

こうした宗教的な価値観は、「お金教」とは対極にあります。人間の価値をお金に置き換えず、生きていること自体に意味があると説いているのです。

貧乏でも惨めでなく生きられる

結論として、私は「貧乏は必ずしも辛くない」と考えます。日本には生活保護という制度があり、それを利用すれば最低限の生活は保障されています。

本当に人を苦しめるのは「お金がないこと」そのものよりも、「お金がない自分には価値がない」という思い込みです。この思い込みは「お金教」によって植え付けられています。

人は生きているだけで価値がある。この当たり前のことをしっかり心に刻めば、貧乏であっても惨めに感じる必要はないのです。

まとめ

お金は確かに便利で、生活に必要不可欠です。しかし、人間の価値を決めるものではありません。

貧乏でも人間らしく暮らすことはできますし、むしろお金に縛られない自由な生き方ができるかもしれません。大切なのは「お金教」から離脱し、「人は生きているだけで価値がある」という真実を腑に落とすことです。

今後もこのテーマについて学びを深め、皆さんと共有していきたいと思います。