
生きるのが辛いと感じる瞬間、誰にでも訪れるものです。普段は理屈で「こうすれば前に進める」「こう考えたら楽になる」と考えられる人も、どうしようもなく心が苦しくなり、思考さえまとまらなくなる時があります。
今回お伝えしたいのは、そうした「本当に限界だ」と感じた時に、どうやって自分を支えていけばよいのか、ということです。
まず最初にお伝えしたいのは、あなたがここまで頑張って生きてきたという事実です。
「自分は怠けているんじゃないか」と責める気持ちがあるかもしれません。でも人は、最初から力を抜いて生きているわけではありません。誰もが、それぞれの場所で一生懸命に歩んでいます。その過程で傷ついたり、疲れ果ててしまったりして「もう辛い」と感じるのは自然なことなのです。

本当に辛いときに一番大きな支えになるのは、人とのつながりです。
誰かから優しい言葉をかけてもらったり、肩を軽く叩いてもらったり、SNSで「大丈夫?」と声をかけてもらったり――そうした一つ一つのやりとりが、心を支えてくれます。
私自身も日々、発信を続けたり、人と関わったりする中で、時にはとても疲れてしまうことがあります。そんなとき、SNSのコメントや「無理しないでくださいね」という温かいメッセージに、何度も助けられてきました。人の優しさに触れると、「まだやっていける」と思えるのです。
もちろん、人との関係には難しい面もあります。仲の良い相手とも喧嘩をしたり、期待が裏切られたり、冷たい態度に傷ついたりすることもあります。ときに、相手に頼りすぎたり、逆に頼られすぎたりして苦しくなることもあるでしょう。
だからこそ、人との距離感を大事にする必要があります。深く依存しすぎると、うまくいかなくなったときに心が大きく揺さぶられてしまいます。理想的なのは、お互いを応援し合うくらいのちょうど良い距離感を保つことです。
現代はSNSを通じて、匿名のままでも人とつながることができます。
「匿名だから無責任な発言が多い」とネガティブに言われることもありますが、顔や名前を出さないことで安全な距離を保ちながら交流できるのは大きなメリットです。自分が無理をせず、傷つかない範囲で誰かを応援したり、メッセージを送ったりできる。これは今の時代ならではの心の支えの形だと思います。
SNS上での小さなやりとりでも、「自分は一人じゃない」と感じられることがあります。リアルで人間関係を築くのが難しい人にとって、こうした繋がりは心を守る大切な手段となるでしょう。

それでも、人とのつながりだけでは不安定に感じる方もいるかもしれません。そんなときは、人を超えた存在――神様や仏様、ご先祖さまなどを心の拠り所にするのも一つの方法です。
例えば「誰かが自分を見守ってくれている」「自分は愛されている存在だ」と感じられるだけで、心はぐっと安らぎます。宗教的な枠にとらわれる必要はなく、神社やお寺に手を合わせたり、静かに心の中で祈ったりするだけでもいいのです。
大切なのは、「自分は存在しているだけで価値がある」と感じられること。その感覚を、人を超えた大きな存在とのつながりから得られる人も少なくありません。

宗教には救いとなる側面がある一方で、注意が必要な部分もあります。
信じることで心が楽になる人もいますが、信じていない人に無理やり勧めたり、子どもに押し付けたりすると大きな負担になります。歴史を見ても、人々が強く信じるがゆえに他者を攻撃してしまった例は数多くあります。
宗教は「自分が納得できるかどうか」がすべてです。信じたい人が信じ、信じない人に強要しない。この姿勢がとても大切です。もしあなたが「心が救われる」と感じる宗教や考え方に出会えたのなら、それはとても尊いことだと思います。ただし、それを他人に押し付けないことを忘れないでください。
最終的に一番大事なのは「自分自身を大切にする感覚」です。
人間関係も、宗教も、SNSも、すべては補助的な支えに過ぎません。本当に辛いとき、「自分はここにいていい」「自分は存在するだけで意味がある」と思えるかどうかが、生き抜く力になります。
もちろん、それは簡単なことではありません。だからこそ、人とのつながりや信じられるものを借りながら、少しずつ「自分を大事に思える感覚」を育てていくのです。
生きるのが辛くなったとき、誰かに頼るのは弱さではありません。むしろ、それは生きるために必要な知恵です。
人との関わりに助けられることもあれば、神仏や大きな存在を感じて心が和らぐこともあります。どの方法が正解というわけではなく、あなたにとって「これなら心が少し軽くなる」と思えるものを選べばいいのです。
大切なのは、どんなときでも「自分は尊い存在だ」ということを忘れないこと。今この瞬間を懸命に生きているあなたには、確かに価値があります。そのことを心のどこかに刻んでいただけたらと思います。