発達障害という言葉は、ここ十数年で広く一般に知られるようになりました。教育現場や職場で耳にすることも増え、最近ではテレビや雑誌でも頻繁に取り上げられています。しかし、その一方で「発達障害とは何か」が正しく理解されていないケースも少なくありません。本記事では、発達障害の基本的な分類や特徴、診断が増えている背景、そして社会の中での課題について考えてみたいと思います。
発達障害は大きく分けて以下の3つに分類されます。

発達障害と混同されやすいのが「知的障害」です。知的障害は、知能全般の能力が平均より低く、日常生活にも広く影響する状態を指します。
知能の評価には「ウェクスラー成人知能検査(WAIS)」などの検査が使われ、IQの数値が一定以下であることが診断の目安とされます。
一方、発達障害は「知的能力の一部に特性や偏りがある状態」と考えるとわかりやすいでしょう。つまり、算数や国語といった全般的な成績が低いわけではなく、「特定の分野で大きな困難を抱える」のが特徴です。

発達障害を理解するうえで、学校の科目にたとえるとイメージがつかみやすくなります。
英語が苦手でも、日本語だけで生活できる環境ならそれほど困りません。しかし英語の授業や外国人との会話が必要な場面では、一気に苦しさが表れます。発達障害も同じで、その人が持つ特性が問われる場面に遭遇すると、大きな問題に直面します。

近年、発達障害の診断を受ける人が増えていると感じる方も多いでしょう。これは必ずしも発達障害そのものが増えているのではなく、診断技術や概念が確立してきた結果だと考えられます。
昔は「落ち着きがない子」「頑固な人」とされていたものが、今ではADHDやASDと診断されるようになった、という背景があります。つまり、以前は見過ごされていた特性が「発達障害」として可視化されるようになったのです。
一方で、発達障害が世の中に広まる中で、軽度の特性を「自分は発達障害だから」と気軽に自己紹介に使うケースも見られるようになりました。これに対しては賛否が分かれます。
重度の発達障害を抱える人からすれば、「同じ障害として並べられるのは不公平だ」と感じることもあるでしょう。例えばテストで「50点前後で赤点すれすれの人」と「1桁台しか取れない人」の苦しみが全く異なるように、発達障害にも軽度と重度では大きな差があります。
この「グラデーション」を理解せず、安易に「発達障害」を名乗ることは、当事者を傷つける可能性があるのです。

人間の能力を「5教科」にたとえると、記憶力、情報処理速度、言語能力、注意力、社会的スキルなどに分けられます。その中で、発達障害に関わるのは「空気を読む力」「集中力を保つ力」「衝動を抑える力」などです。
これはごく最近になって社会的に注目され始めた「新しい教科」とも言える分野です。診断される人が増えているのは、この分野の評価が可能になったことと大きく関係しています。
増加自体は悪いことではありません。むしろ正しく理解され、必要な支援につながることは望ましいことです。ただし、その一方で「発達障害」という言葉をファッション感覚で使うことは避けたいところです。
発達障害は「デリケートな問題」です。軽度の人もいれば重度の人もいますし、生活の中で困難を感じる度合いも人それぞれです。大切なのは「一律に決めつけない」ことです。
例えば、職場で「集中力が続かない」という特性があっても、工夫次第でその人が能力を発揮できる場面は必ずあります。学校で「英語が苦手」な子が、別の教科で才能を伸ばすように、発達障害の人も特性に応じた環境があれば活躍できるのです。
発達障害は、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD)、学習障害(LD)の3つに分類されます。知的障害とは異なり、能力の一部に偏りがあるのが特徴です。診断が増えているのは概念が確立してきた結果であり、社会が新たにその存在を「見える化」できるようになったからです。
しかし一方で、「軽度」をファッション的に扱うことは、当事者の苦しみを矮小化する危険があります。発達障害はグラデーションのある概念であり、軽度と重度では経験する困難がまったく異なるのです。
私たちに求められているのは、ラベルで人を判断することではなく、その人の特性を理解し、適切な環境を整えていくことです。発達障害を正しく理解し、誰もが安心して暮らせる社会を目指すことこそが大切なのではないでしょうか。