みなさんは「サイコパス」「ソシオパス」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。テレビや映画、小説などでもしばしば登場し、ときに冷酷で恐ろしい人物像として描かれることがあります。しかし実際には、この言葉は医学的な正式な診断名ではありません。専門的には「社会に適応しづらい人格の傾向」といった形で語られることが多いのですが、ここでは難しい用語を避け、わかりやすく解説していきたいと思います。
大きく分けて二つの特徴があります。
一つは「社会のルールや規範を守らない行動」を繰り返すこと。例えば、法律を破る、他人を傷つける、いじめをする、盗みを働く、約束を守らない、といったことです。必ずしもすべてが犯罪になるとは限りませんが、「人としてやってはいけないこと」を平気で行ってしまう点が特徴です。
もう一つは「心の中の特徴」です。具体的には、人の気持ちに共感しにくい、罪悪感をあまり感じない、というものです。たとえば多くの人は、相手が悲しんでいたら自分まで胸が痛むことがありますよね。ですがサイコパスやソシオパスの人は、相手が悲しんでいることを頭では理解できても、自分の感情は揺れ動かないのです。そのため「悪いことをした」としても、心の中で自分を責めることがほとんどありません。
では、なぜそのような傾向が生まれるのでしょうか。人の行動や感情には「理性」「感情」「共感」といったいくつかの要素が関わっています。
私たちは腹が立ったとき、瞬間的に「殴ってやりたい」と思うことがあっても、同時に「やってはいけない」「相手が傷つく」「自分が困る」といった理性が働きます。ほんの一瞬で頭の中にブレーキがかかるのです。
また、他人が悲しんでいるときに同じように胸が痛くなるのは「共感する力」が働くからです。これには「相手の気持ちを自分のことのように感じ取る仕組み」が関わっていると考えられています。
サイコパスやソシオパスと呼ばれる人たちは、この仕組みのどこかが通常とは違うために、共感や罪悪感が弱くなりやすいのではないかと考えられています。
興味深いのは、サイコパスの場合「相手の気持ちがわからない」のではなく「わかるのに感情が動かない」という点です。
例えば、クラスのみんなが先生の死を悲しんで泣いている場面を想像してください。普通の人なら「自分も悲しい」と感じ、一緒に涙を流します。しかしサイコパスの場合は「みんなが悲しんでいること」は理解しているのに、自分は何も感じません。
その結果どうなるかというと、「相手の気持ちを利用できる」という状態が生まれるのです。悲しんでいる人の心理を冷静に分析し、自分の利益になるように立ち回ることができます。これがサイコパスの最も恐ろしい部分だと言えるでしょう。

両者は似ていますが、成り立ちに違いがあると考えられています。
サイコパスというと、映画の悪役のように恐ろしい人物を思い浮かべがちですが、実際には必ずしもそうではありません。
確かに一部の人は犯罪に走ることがありますが、別の一部の人は社会の中で意外な形で成功することもあります。なぜなら、冷静に合理的な判断ができるからです。
例えば会社の経営で、心を鬼にして大量のリストラを断行しなければならない場面。多くの人は「かわいそう」と感じて迷いますが、サイコパス的な傾向を持つ人は感情に左右されずに決断できます。その結果、カリスマ経営者として活躍することもあるのです。これを「ホワイトなサイコパス」と呼ぶこともあります。

サイコパスやソシオパスという言葉は、一般的には「冷酷で恐ろしい人」というイメージで語られがちです。しかし実際には、「人の気持ちに共感しにくい」「罪悪感を抱きにくい」といった特徴を持つ人たちを指すものです。
ソシオパスは環境に強く影響を受けやすく、短絡的で周囲から気づかれやすい存在。サイコパスは生まれつきの傾向が強く、表面上は普通に見えるのに感情が動かないため、得体の知れない怖さがあります。
ただしそれが必ずしも「悪」につながるとは限らず、場合によっては冷静さを武器に社会で成功することもあります。
私たちが理解しておきたいのは、「誰もが同じように感じるとは限らない」ということです。共感できることが当たり前ではなく、そこに違いがあるからこそ、社会は多様な姿を見せているのかもしれません。