本日は「不幸な人」というテーマについて考えてみたいと思います。
私たちの身の回りには「不幸」と感じられる状況にある人が確かに存在します。しかし、不幸には多様な側面があり、単純に定義できるものではありません。本稿では、家庭環境や病気、そして人との関わりの中で生まれる幸福感と不幸感について考察し、最後に「どのようにすれば不幸から一歩抜け出せるのか」という視点を提示します。

近年「親ガチャ」という言葉が使われることがあります。私はこの表現を好みませんが、実際に生まれ育つ環境が大きな影響を与えるのは事実でしょう。
優しい親に育てられる人もいれば、厳格な親のもとで育つ人、さらにはネグレクトに近い環境で育つ人もいます。また、家庭が裕福であるか貧しいかによって、子どもが得られる教育機会や体験の幅も大きく異なります。
教育現場で子どもたちに接していると、勉強やスポーツを自然にこなす子もいれば、適切な指導があって初めて力を発揮できる子も少なくありません。その差は、単なる才能だけでなく「周囲の大人からどれだけの機会を与えられたか」によって広がっていきます。つまり、家庭環境は子どもの能力形成に深く関わり、それが将来の幸福度を左右する一因となるのです。

大人になってから不幸を感じる大きな要因のひとつが、病気や障害です。精神科を訪れる方の中には、統合失調症や重度のうつ病、重症のパニック障害などで苦しむ方がいらっしゃいます。あるいは知的障害や発達障害を抱える方もいます。これらは本人の努力や意思だけではどうにもならない「ハンディキャップ」であり、その負担は計り知れません。
しかし、同じような病状であっても「幸福そうに見える人」と「不幸そうに見える人」が存在します。例えば、介護が必要なほど重度のうつ病を抱えた40代の女性が2人いたとします。どちらも経済的に困難で、生活保護を受け、自由に外出もままならない状況です。にもかかわらず、一方は感謝の言葉を忘れず、ヘルパーと良好な関係を築き、笑顔を見せることが多い。一方で、もう一人は常に不満を口にし、支援者が離れていってしまう。両者の幸福度の差は明らかです。

一般に「不幸」と聞くと、お金の有無や能力の高低、健康状態や人間関係の良し悪しなどが思い浮かびます。しかし、同じ条件下にあっても幸福度に差が出るのはなぜでしょうか。
私の考えでは、その差を生み出す要因は「精神的なエネルギーの持ち方」にあると感じます。
笑顔を見せ、感謝の言葉を伝えられる人は、自然と周囲との関係が良好になります。反対に、文句や不満ばかりを口にする人は、支援してくれる人が次第に離れていってしまう。これは原因であると同時に結果でもあります。感謝できるから人が寄ってくるのか、人に恵まれるから感謝が生まれるのか――いずれにせよ、ポジティブな循環に入るか、ネガティブな循環に陥るかで幸福感は大きく異なります。
私の持論としては、最も不幸なのは「世の中に対してすねてしまうこと」だと思います。お金の多寡や社会的地位よりも、「笑顔を失い、感謝の余裕をなくしてしまう心の状態」こそが深い不幸を生み出します。
ただし、当人もそのことを自覚していることが多いのです。「笑顔がないから幸せになれない」と言われても、それを承知のうえで苦しんでいる人は少なくありません。では、どうすればよいのでしょうか。

私は、人間が好きです。笑顔の多い人も、不満をこぼす人も、同じように人間らしく魅力的だと思います。そのため、私は不満ばかり口にする患者さんにも寄り添い、「もし私があなたの立場ならこうしてみる」といった提案をします。もちろん、すべてを受け入れる必要はありません。100のアドバイスのうち、1つでも取り入れてくれれば十分です。
重要なのは「少しだけでも人の言葉を受け入れる姿勢」です。不幸な人ほど視野が狭くなり、認知が偏りがちです。しかし、他者からのアドバイスをわずかにでも受け入れれば、支援する側は「もっと支えたい」と感じます。やがてその人は「支援され上手」となり、良い循環が生まれるのです。
興味深いことに、強く「自分は不幸だ」と感じている人には、一つのメリットがあります。それは「搾取されにくい」という点です。お金や地位がある人には、多くの人が近寄り、時に利用しようとする人も現れます。しかし、すでに失うものが少ない人には、そのようなリスクは少ないのです。だからこそ、不幸だと感じている人に向けられる助言や支援は、多くが純粋な善意に基づいていると考えられます。
不幸から抜け出す第一歩は、人からの善意やアドバイスをほんの少しでも受け入れることです。「お風呂に入ってみよう」「薬をきちんと飲もう」「通院を続けよう」といった小さな行動の積み重ねが、やがて幸福感へとつながります。
もちろん、トラウマや過去の体験がそれを難しくしている場合もあります。しかし、それでもなお「人の言葉を少しだけ取り入れる」姿勢が、不幸と幸福を分ける大きな分岐点になるのです。
「不幸な人」とは、必ずしもお金や能力に恵まれない人のことではありません。むしろ、笑顔を失い、感謝の気持ちを持てなくなった人こそが、不幸な人であると私は考えます。そして、不幸を感じている人にこそ、人の言葉を少しでも受け入れる柔らかさを持ってほしい。そうすることで支援の輪が広がり、幸福への道が開けるのです。