働けない問題について

働けない問題について

働けない問題について考える

~「無価値なのでは?」という問いに向き合う~

はじめに

現代社会において「働く」という行為は、多くの人にとって人生の中心的な役割を担っています。収入を得る手段であることはもちろん、社会とつながり、自分の存在意義を実感するための大切な要素でもあります。けれども現実には、病気や心身の不調、あるいは過去のトラウマなどさまざまな理由で「働けない」人たちが数多く存在しています。

精神科の外来でも「働けない私は無価値なのではないか」「生きている意味がないのではないか」と深く悩む声を聞くことは珍しくありません。その言葉を耳にすると、私自身も胸が痛みます。なぜなら、その人の存在を大切に思うからこそ、「働けない」という一点だけで自分を否定してしまう姿が、何よりも悲しく、寂しいものに感じられるからです。

本稿では、「働けない」という問題について、社会的な側面と個人の心の問題の両面から考えてみたいと思います。

「働けない」にはさまざまな背景がある

「働けない」にはさまざまな背景がある

まず前提として、「働けない」理由は一人ひとり異なります。

パワハラや業務過多によって心をすり減らし、うつ病を発症し休職している人

若い頃に統合失調症や難治性うつを発症し、就労経験を積めないまま大人になった人

DVや虐待などのトラウマ体験により社会との関わりが困難になった人

表面上は「働いていない」と一括りにされがちですが、その背景には長い苦しみや複雑な事情が横たわっています。

それでも多くの人は「働けない=無価値」と考えてしまい、自分を責めてしまうのです。ここに社会の通念が深く影響しています。

「働けない=無価値」という思い込み

「働けない=無価値」という思い込み

日本には昔から「働かざる者食うべからず」という言葉があります。江戸時代に生まれたとされるこの格言は、勤労を当然の義務とする価値観を象徴するものです。もちろん、社会を維持するために誰かが働く必要はあります。しかしその一方で、この言葉が「働けない人は生きる資格がない」という極端な思い込みにつながりやすいことも事実です。

実際、仕事をしている人の中には「自分はつらくても歯を食いしばって働いているのに、なぜあの人は働かないのか」と苛立ちを覚える場面もあるでしょう。社会全体に漂う「働かない人=怠け者」という偏見は根強く、当事者の心を深く傷つけます。

しかし冷静に考えてみれば、人類が産業革命を経て200年以上も前から、社会全体の仕組みはすでに「全員が働かなくても暮らしていける」状態に達しているはずです。農業や漁業といった第一次産業に従事する人は人口のごく一部であり、残りの多くはサービス業など社会を快適にするための仕事に従事しています。つまり、贅沢を追わなければ、10人に1人が働くだけで社会は回るのです。

この事実を踏まえると、「みんなが歯を食いしばって働かなければ社会が崩壊する」という考え方そのものが、もはや時代遅れと言えるのではないでしょうか。

支え合いの仕組みと「感謝」の視点

支え合いの仕組みと「感謝」の視点

現代日本には、生活保護や傷病手当金など、働けない人を支える制度があります。これらは「税金で食べている」という負い目を生む一方で、本来は社会全体が安心して暮らすために整備された仕組みです。

大切なのは、それを「当然の権利だから好きに使えばいい」と開き直るのではなく、「支えてくれている人がいるから今の生活が成り立っている」という感謝の気持ちを持つことです。感謝を忘れずにいれば、決して卑下する必要も、後ろめたさを感じる必要もありません。

統合失調症やうつ病で生活保護を受けている人がいたとしても、それは「支援を必要とする人が制度を使っている」だけのことです。社会が成り立っているのは、働いている人たちの努力と、それを認め合う仕組みのおかげです。そのことを胸に刻めば、働けない自分を恥じる必要はないのです。

「生きているだけで価値がある」はきれいごと?

よく耳にする「生きているだけで価値がある」という言葉。確かに、耳障りの良いフレーズですが、現実には「他者に害を与える人」まで無条件に肯定することは難しいでしょう。人を傷つけて快楽を得るような人まで含めて「生きるだけで価値がある」とは言いにくいのが正直なところです。

しかし一方で、「働けていない自分は無価値だ」と苦しみ、自分を卑下してしまう人に対しては、私は強く「あなたには価値がある」と伝えたいと思います。なぜなら、他者に迷惑をかけまいと悩み、感謝や申し訳なさを感じられる人は、それだけで他者を思いやれる存在だからです。そのような人が無価値であるはずはありません。

社会が本当に向き合うべきは、「働けない人の存在を否定する風潮」そのものであり、むしろ「支え合いながら生きていく」ための知恵を育むことではないでしょうか。

働けない社会をどう受け入れるか

日本社会では、生活保護の不正受給などが繰り返し報道されますが、実際にはごく一部の事例に過ぎません。それにもかかわらず「働かないで生活保護を受けている人=ズルい人」というイメージが広がり、制度を本当に必要とする人が利用しにくくなっています。

私は、むしろ生活保護を受けるハードルを下げ、必要とする人が安心して利用できる社会になってほしいと願っています。苦しんで働くよりも、無理せず支え合って生きられることの方が、社会全体にとって健全だからです。

もちろん「働く」こと自体には大きな意味があります。自己実現や成長の場として、また社会とつながる手段として、働くことに価値を見いだす人も多いでしょう。だからこそ「働きたい人が働く」社会であれば十分であり、「働けない人」や「働きたくない人」が無理に働かなくても成り立つ社会を目指すことが重要なのです。

おわりに

おわりに

「働けない」ことは決して「無価値」であることを意味しません。むしろ、働けない現状に悩み、周囲への感謝を忘れない人には、確かな価値が宿っています

人類はすでに、全員が必死に働かなくても暮らせるだけの仕組みを手に入れています。だからこそ、私たちが取り払うべきは「働かざる者食うべからず」という古い常識や偏見です。

これからの社会に求められるのは、働ける人・働きたい人が自由に力を発揮し、働けない人は安心して支援を受けられる、そんな相互理解と寛容の循環です。

「働けないから自分は無価値だ」と苦しむ人に向けて、私は声を大にして伝えたいのです。

あなたは無価値ではない。感謝の心を持ち、人を思いやれる時点で、あなたは確かに社会にとって大切な存在なのだ、と。