〜リスクと現実の間で考える〜
日々の生活において、自動車の運転は欠かせない存在です。通勤や通院、買い物に至るまで、移動手段として車を利用している方は多く、特に公共交通が発達していない地域ではその重要性は計り知れません。
しかし、自動車の運転には高度な注意力、判断力、認知能力が必要です。精神疾患を持つ方が車を運転する場合、その安全性や社会的責任をどう考えるべきかという問題が浮かび上がってきます。今回はこのテーマについて、実際の制度や医療現場での経験も交えながら、丁寧に考察していきたいと思います。
まず初めに、運転免許の更新や取得において、明確に規定が設けられている精神・神経疾患が2つあります。それが「認知症」と「てんかん」です。
日本では、75歳以上の高齢者が運転免許を更新する際、「認知機能検査」を受けることが義務付けられています。これは記憶力や理解力、判断力など、運転に必要な機能が保たれているかを評価する検査です。
検査の結果が不十分であれば、免許の更新は認められず、運転ができなくなります。また、75歳以上の高齢ドライバーが交通違反をした場合にも、この認知機能検査が再度求められることがあり、一定の基準に達しない場合には免許停止や取消しの対象になります。
てんかんを持つ方が運転免許を維持するためには、医師による診断書が必要となります。ここでの重要な条件は、過去2年間に発作が起きていないことです。
発作がなく、医師が「運転に支障がない」と判断した場合に限り、免許の更新が認められる仕組みです。これは安全性を確保するうえでの最低限のラインとされており、制度としてしっかり整備されています。
ところが、統合失調症やうつ病、不眠症、パニック障害など、その他の精神疾患については法律で明確な運転制限が定められていないのが現状です。また、これらの疾患に用いられる薬剤——抗うつ薬、抗不安薬、抗精神病薬、睡眠薬など——が運転にどの程度影響を与えるかも、一概には言えません。
このため、実際の判断は非常に難しく、個々の病状や薬の影響、生活背景などを総合的に判断する必要があります。特に、車の運転が生活に直結している方(通勤や通院手段として不可欠な場合)と、レジャーや趣味として使用している方とでは、運転の必要性に大きな差があります。

かつて、私は離島の精神科外来を定期的に担当していたことがありました。月に一度の診療でしたが、特に印象に残っているのは、80代、90代の高齢者が一人で生活している世帯の多さです。
公共交通機関がほとんどない中で、車がなければ生活が立ち行かないという現実がそこにはありました。認知機能が明らかに低下していても、車がないと買い物も病院にも行けないという理由で、日常的に運転を続けている方も少なくありません。
医師として「運転を控えてください」と伝えることは当然ですが、現実問題としてそれを完全に止める手段がないことに、何度も直面しました。免許が失効しても、物理的に車があれば運転はできてしまう。身寄りがなく、地域からの支援が届きにくい高齢者の場合、「誰が責任を持って止めるのか」という問題が常に付きまといます。
私は15年ほど前、医師としての専門研修中に自動車事故を起こした経験があります。夜勤明けの疲れが影響していたと思いますが、原付バイクとの接触事故を起こしてしまい、相手の方が骨折をするという重大な事故でした。
幸いにも命に別状はありませんでしたが、「自分がどんなに気をつけていても、加害者になる可能性はゼロではない」という事実に、大きなショックを受けました。
その後、私はその方が入院されている病院へ、3か月間毎日通いました。加害者としての責任を感じてのことでした。刑事的な処分や免許の取り消しはなかったものの、精神的なダメージは大きく、その後しばらく運転ができなくなりました。
この体験から、私は患者さんにも、「運転するということは、誰かを傷つけてしまう可能性を背負うということ」を強くお伝えするようになりました。

しばしば「運転前に薬を飲まなければ大丈夫なのでは?」という声を耳にします。しかし、これは非常に危険な考え方です。
精神科の薬は、症状を安定させるために必要なものであり、無理に中止すれば、かえって不安や不眠、焦燥感が増し、注意力が落ちる恐れがあります。例えば、睡眠薬を飲まずに眠れず、徹夜のまま運転すれば、通常よりも遥かに危険な状態になります。
ですから、「薬を飲んでいるから運転が危ない」のではなく、病状全体を踏まえて、どのように運転するかを考える必要があるのです。
認知症やてんかん以外の精神疾患における運転の可否は、現在の制度では医師の判断に大きく委ねられています。ですから、まずは主治医とよく相談し、病状や薬の影響、運転の必要性について、正直に話すことが大切です。

私自身、患者さんに運転について尋ねられた際には、事故のリスクや社会的責任、過去の自身の経験も交えて丁寧に説明しています。その上で「運転を続ける」とご本人が判断されれば、現実的には医師にそれを強制的に止める手段は限られています。
ただし、過去に事故を起こしたことがある方に関しては話が別です。再度の事故の可能性が高まるため、強く運転を控えるように助言しています。
精神疾患を持つ方が運転を続けるべきか否か。それは単に「運転できるか」ではなく、「運転することで他人に危害を加える可能性があるか」を含めて判断すべき問題です。
たとえ事故を起こす確率が低くても、ひとたび事故が起きれば、その責任は非常に重く、人生を一変させてしまう可能性すらあります。
精神疾患がある方やそのご家族、また医療者や地域の関係者が、この問題についてしっかりと話し合い、必要な支援を受けながら、安心して生活できる道を模索していくことが今後ますます求められるでしょう。