統合失調症は脳内の神経伝達物質であるドーパミンが過剰に分泌されることによって、神経過敏や感覚過敏が生じ、さらに悪化すると幻覚や妄想へとつながっていく病気です。今回は、この統合失調症を抱える方が「自分の人生にどれくらい期待しても良いのか」というテーマについて考えてみたいと思います。
統合失調症は間違いなく「重い病気」と言われます。ただし、重さの表れ方は人によって大きく異なります。ドーパミンは誰にでも分泌される物質であり、何かに集中したり緊張したりするときに脳を活性化させます。適切な場面で働けば集中力や覚醒をもたらしますが、問題は「場にそぐわない状況」で分泌されてしまうことです。
たとえば、リラックスしているときに過剰にドーパミンが分泌されれば、身体は「何か重大なことが起きている」と誤解して緊張状態に入ります。その結果、周囲の人の視線を「悪意あるもの」と解釈してしまい、被害妄想や注察妄想へとつながるのです。
軽症の方であれば「少し疲れやすい」「神経が敏感」という程度で済みます。しかし重症の方になると、「周囲から責められている」と確信し、強い恐怖のために外出が困難になることもあります。症状の幅はまさにピンからキリまであり、アレルギー疾患と同じように軽度の人から重度で生活に大きく支障をきたす人まで多様なのです。

治療の最終的な目標は「普通の人と変わらない生活が送れること」です。ここでいう「普通」とは、決して社会的に大きな成果を上げることや、高い生産性を発揮することではありません。人間の価値は生産性に左右されるものではないからです。
仕事で大きな成果を出す人もいれば、自宅で穏やかに過ごすことに幸せを見いだす人もいます。どちらが優れているというものではなく、どちらの人生も尊いものです。私自身も本来は「家でゆっくりしていたい」と思う性格です。ですから、統合失調症を抱えて家で穏やかに暮らしている方の人生を「間違っている」とは決して思いません。
大切なのは、「その人自身が幸せを感じられるかどうか」です。家で過ごすことに満足できれば問題ありませんが、「働いていないから申し訳ない」「何もしていない自分には価値がない」と考えてしまうと、苦しみが強まってしまいます。そうした考え方を少しずつ修正し、自分なりの充実を見つけていくことが必要です。

もちろん、統合失調症は望んで得られるものではなく、無いに越したことはありません。アレルギー疾患が「無ければ良い」と誰もが思うように、統合失調症についても「病気があって良かった」と感じる方はほとんどいません。
しかし幸せに生きている統合失調症の方々に共通しているのは、「病気が人生の一番大きな要素ではない」という点です。病気があることは否定できませんが、それ以上に大切なものを持っている人は、自分なりに充実した人生を送ることができています。

現代社会では「どれだけ稼いでいるか」「どれだけ社会に貢献しているか」が価値基準になりがちです。しかし、それにとらわれすぎると自己否定につながります。統合失調症の方が「症状が完全に良くなったら自分は前向きになれる」と考えることもありますが、それではいつまでも幸せを実感できません。
むしろ大切なのは「今の状態で何ができるか」に目を向けることです。たとえば、料理をした、入浴できた、少し散歩ができた。そうした一つひとつの行動も立派な「前進」であり、人生を豊かにする要素です。
人生の評価は他人が下すものではありません。どれだけ外から「怠けている」と見えても、本人が笑顔で楽しく過ごしているなら、それは十分に価値のある人生です。

統合失調症は確かに重い病気であり、人生に大きな影響を及ぼすこともあります。しかし、それが人生のすべてを決定づけるものではありません。むしろ、「病気が人生の中心にならないようにすること」が重要です。
統合失調症だからといって人生を諦める必要はありません。病気を「人生の一番」に置かないこと。そして「生産性」ではなく「自分自身の満足度」に軸を置くこと。それが、自分なりに幸せで豊かな人生を歩むための大切な視点だと思います。