人が心身ともに健やかに成長していくためには、幼少期からの家庭環境や親子関係が大きな役割を果たします。親子関係は、特に子どもが小学生になる頃までの人格形成に大きく関わっているとされ、この時期にどのような関わりを受けるかが、その後の人間関係の築き方や自己肯定感、更には精神的な健康にまで影響を及ぼすことが知られています。
本記事では、親子関係が精神疾患に及ぼす影響について、その構造や特徴、そしてどのように向き合っていけば良いのかを解説します。

親子関係は、子どもが人間関係を学ぶ最初の場でもあります。人間関係には大きく分けて「対個人(1対1の関係)」と「対集団(集団の中の自分)」という2つの側面があります。
子どもは、概ね小学校低学年頃までは親との1対1の関係を通して社会性を学びます。この時期に親が無条件の愛情を注ぐことは非常に重要であり、「どんな自分でも愛される」「ありのままの自分に価値がある」という感覚、いわゆる自己肯定感を育む土台になります。
例えば、子どもが何かで良い成果を出したから愛されるのではなく、どのような子どもであっても親から一定の愛情や関心が示される関係であることが理想とされます。このようにして、子どもは自分の存在そのものに価値を見出せるようになっていきます。
その後、小学校高学年から中学・高校にかけて子どもは集団の中での立ち位置を学び、友人や先輩後輩など、様々な人間関係を通して社会性を広げていきます。この2つの段階がバランス良く発達することで、健全な人格形成が進んでいくのです。

しかし、親子関係が円滑に築かれなかった場合、1対1の関係性に歪みが生じ、それが成人後も尾を引いて精神的な不調やの一因となることがあります。特に臨床の現場では、母親との関係に強い葛藤を抱え、それが長年に渡り心の負担となっている患者が少なくありません。
例えば、成人しても高齢の母親との関係に強く縛られている人がいます。母親から頻繁に連絡が来るかと思えば、ぱたりと途絶えるなど不安定なやり取りが続くケースや、母親が自分の価値観を一方的に押し付けてくるケースもあります。言葉数が少なくても、何気ない一言が「子どもとしての自分」を強く揺さぶり、罪悪感や無力感を感じさせることがあります。
人は誰しも複数の役割を持ち、その場や相手によって「顔」を使い分けながら生きています。職業人としての自分、親としての自分、配偶者としての自分、友人としての自分、そして親にとっての子どもとしての自分――こうした複数の人格的側面を自然に切り替えながら生活しています。
しかし、親子関係に問題を抱えている場合、特に母親との関係が強く影響している人では、大人になっても「子どもとしての自分」が常に前面に出てしまうことがあります。
例えば、自分自身が母親となり子育てをしている最中でも、実母から電話が掛かってきた途端に「おどおどした子ども」のような態度に戻ってしまい、母親の言うことに従わなければならないと感じる――こうした状況が続くと、母親としての自分が十分に育たず、家族内での役割にも支障をきたします。
夫から見ると、妻には「妻としての顔」を向けてほしいのに、いつも「実母の子どもとしての顔」ばかりが出てしまうため、夫婦関係が上手くいかなくなることもあります。また、子どもから見ても、母親が祖母の前で「子どもに戻ってしまう」様子を目にすることで安心して頼れず、健全な親子関係が築きにくくなる場合もあります。

こうした問題に向き合ううえで重要なのは、「子どもとしての自分」の要素を少しずつ小さくしていくことです。
親子関係が不健全なままの状態で、自分の中の子どもとしての側面を残したまま関係を改善するのは非常に難しく、現実的ではありません。むしろ、母親との接触機会を減らし、他の役割――母親としての自分、妻としての自分、職業人としての自分、友人としての自分――を意識的に大切にしていくことが有効だと考えられます。
具体的には、母親と物理的に会う回数を減らす、電話は1日1回・週1回とルールを決める、LINEなどのやり取りも必要最低限にするなど、徐々に距離を取る工夫が勧められます。
人は五感(視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚)を通して相手を強く意識するため、実際に会う機会を減らすことは、子どもとしての自分を弱めるために非常に効果的です。母親を視覚で見たり、声を聴いたり、肌に触れたりする機会が減ると、次第に子どもとしての側面は小さくなり、他の役割を伸ばしやすくなっていきます。

親子関係、とりわけ母娘関係が原因となり、精神疾患の背景に強い影響を及ぼしている例は少なくありません。
勿論、親子関係が全ての原因になるわけではありませんが、長年続く親の影響から抜け出せずに苦しんでいる人にとっては、自分の中の「子どもとしての自分」を小さくし、他の役割を意識的に育てることが、健全な心の回復に繋がる一歩となります。
実際の臨床現場でも、患者に対しては「母親との物理的・感覚的距離を取ること」「母親以外の役割を大切にすること」が推奨されることが多くあります。母親との関係を完全に断ち切る必要はありませんが、必要以上に五感を刺激するような接触を避けることで、子どもとしての自分を少しずつ小さくしていくことができます。
多くの人が人生の中で親子関係に悩みますが、それは決して珍しいことではありません。自分を責めるのではなく、今の自分にとって大切にしたい役割を育てていくことが、結果として精神的な安定やより良い人間関係に繋がっていくのです。