私たちの体は、脳や内分泌臓器から分泌される「ホルモン」によって、生命活動を維持しています。ホルモンには、血糖を調節するインスリンや、成長を促す成長ホルモン、体を男性化・女性化させる性ホルモンなど、多くの種類があります。これらは体のバランスを保つために不可欠な存在ですが、一方で「がんの進行を助けてしまうホルモン」も存在することが、近年の研究で明らかになってきました。
その代表例が「アドレナリン(エピネフリン)」というホルモンです。アドレナリンは、私たちが緊張したり、怒ったり、恐怖を感じたりしたときに副腎から分泌される物質で、「闘うか逃げるか(fight or flight)」というストレス反応の中心的な役割を担っています。しかし、このアドレナリンが、がん細胞の増殖や転移を促進する可能性があることが、多くの研究で示されているのです。
がんとホルモンの関係といえば、まず思い浮かぶのは「乳がん」と「エストロゲン」の関係でしょう。乳がんの中には、女性ホルモンであるエストロゲンに反応して増殖が活発になる「ホルモン依存性乳がん」というタイプがあります。ホルモンががんの成長を後押しするという点では、アドレナリンも同様の働きを持っていることがわかってきました。
アドレナリンは、緊張やストレスのときに分泌され、心拍数を上げたり、血圧を上昇させたりして体を「戦闘モード」にします。短時間であれば有益な反応ですが、長期間にわたってストレスが続き、アドレナリンが慢性的に分泌されると、体に悪影響を及ぼすようになります。近年、このアドレナリンが「がんの進行にも関与している」という証拠が次々と報告されています。
がん細胞の表面には「βアドレナリン受容体」と呼ばれるタンパク質が存在しています。この受容体にアドレナリンが結合すると、スイッチが入ったように細胞が活性化し、がんの悪性度が高まることがわかっています。
研究の一例として、乳がん細胞を試験管内で培養し、そこにアドレナリンを加える実験があります。その結果、がん細胞が周囲に「浸潤」する能力、つまり他の組織へ侵入する力が強まることが確認されました。これは、がんの転移が起こりやすくなることを意味しています。つまり、アドレナリンががん細胞を「より攻撃的な性質」に変えてしまうのです。

さらに興味深いことに、アドレナリンの働きをブロックすると、がんの活性化が抑えられることが実験で示されています。
アドレナリンは「βアドレナリン受容体」を通じて細胞に作用しますが、この受容体を遮断する薬(βブロッカー)を加えると、アドレナリンを加えてもがん細胞の浸潤は起こらなくなります。
βブロッカーは、もともと高血圧や心疾患の治療薬として広く使われている薬です。つまり、偶然にも「心臓の薬」が、がんの進行を抑える可能性を持っているというわけです。

実際の患者データでも、アドレナリンとがんの進行には関連が見られます。
たとえば、すい臓がん患者を対象とした研究では、血液中のアドレナリン濃度が高い患者ほど生存期間が短い傾向があることが報告されています。
この結果は、体内のアドレナリンが高い状態が、がんの進行を促す可能性を示唆しています。
さらに、2000人以上を対象とした海外の研究では、血圧治療のためにβブロッカーを服用していた人は、服用していなかった人に比べて肝細胞がんによる死亡リスクがおよそ20%低かったと報告されています。
つまり、アドレナリンが作用する経路を薬で遮断すると、がんの悪化を防げる可能性があるということです。
これらの研究を総合すると、アドレナリンはβアドレナリン受容体を介してがん細胞を活性化させ、がんの進行や転移を促進することが考えられます。
したがって、がんの予防や再発防止のためには、できるだけアドレナリンが慢性的に分泌されないようにすることが大切です。
アドレナリンは「交感神経」が優位になったときに分泌されます。つまり、緊張・怒り・不安・恐怖・焦りなどのストレス状態が続くと、体内でアドレナリンが増えてしまいます。逆に、リラックスした状態では、副交感神経が優位になり、アドレナリンの分泌が抑えられます。
日常生活でアドレナリンの分泌を抑えるためのポイントは、以下の4つです。
① くよくよ悩まない
精神的ストレスはアドレナリン分泌の最大の原因です。過去のことを必要以上に悔やまず、「今できること」に意識を向けることが、心身の健康につながります。
② リラックスして緊張する場面を減らす
深呼吸や軽いストレッチ、音楽鑑賞、入浴など、リラックスできる時間を意識的に取り入れましょう。緊張の積み重ねは、アドレナリン過剰状態を招きます。
③ 怒りよりも感謝の気持ちを持つ
怒りはアドレナリン分泌を急激に高める感情です。一方で、「ありがとう」という感謝の気持ちは、副交感神経を刺激し、心を落ち着かせます。日々の小さな出来事にも感謝を見出す習慣が、がん予防にもつながるのです。
④ 睡眠時間をしっかりとる
睡眠不足になると、イライラや集中力低下が起こり、交感神経が優位になります。結果としてアドレナリンが過剰に分泌されてしまいます。毎日6〜8時間の十分な睡眠を確保することが重要です。

がんは、遺伝や生活習慣などさまざまな要因が複雑に関係して発症しますが、近年は「心」と「ホルモン」の関係にも注目が集まっています。アドレナリンは本来、命を守るためのホルモンですが、過剰に分泌され続けると、がん細胞の成長を助けてしまうという皮肉な一面を持っています。
日常の中でストレスを完全になくすことは難しいかもしれません。しかし、心を落ち着け、感謝の気持ちを忘れず、十分な休養を取ることによって、アドレナリンの分泌を抑えることは可能です。
科学的な知見に基づきながら、「穏やかに過ごすこと」こそが、がんの進行を抑えるための自然で有効な方法なのです。