日本では、がんによる死亡原因の中でも依然として上位に位置する「胃がん」。
食生活の改善や検診制度の充実によって早期発見が進んではいるものの、今なお年間3万人以上が命を落としています。
そんな中、2023年に発表された理化学研究所を中心とする日本の研究グループによる画期的な発見が、医療関係者の間で大きな注目を集めています。
それは、「特定の遺伝子変異を持つ人がピロリ菌に感染すると、胃がんのリスクが22倍にも跳ね上がる」という衝撃的な結果です。
この研究は、権威ある医学誌『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)』に掲載されました。
今回はその研究内容を、できるだけわかりやすく解説していきます。

まず、胃がんの発症に最も関係しているのが「ヘリコバクター・ピロリ菌(H. pylori)」です。
この細菌は胃の粘膜に住みつき、長期間にわたって炎症を起こします。
炎症が続くと粘膜が萎縮し、細胞のDNAに損傷が生じ、やがてがん化することがあります。
日本では成人の約3割がピロリ菌に感染しており、感染していない人に比べて胃がんのリスクが5倍以上高いことが知られています。
しかし、同じピロリ菌に感染していても「がんになる人」と「ならない人」がいます。
その違いを生み出している要因のひとつが「遺伝的素因」なのです。
理化学研究所の研究チームは、日本国内の1万1,000人以上の胃がん患者と、約4万4,000人の健康な人を対象に、大規模なゲノム解析を行いました。
解析対象は、がんの発症に関わるとされる27種類の遺伝子。その中から、胃がんの発症に関連する9つの遺伝子が特定されました。
注目されたのは、「BRCA1」や「BRCA2」といった、DNAの損傷を修復する働きを持つ遺伝子群です。
これらは乳がんや卵巣がんの原因遺伝子としても知られていますが、今回の研究で、同じ遺伝子変異が胃がんにも関与していることが明らかになりました。
このような遺伝子変異を「病的バリアント」と呼びます。
つまり、生まれつきDNAの修復力が弱い体質を持っている人では、ピロリ菌による炎症でDNAが傷ついた際に、その修復がうまくいかず、がん細胞ができやすくなるのです。

研究チームはさらに、ピロリ菌感染の有無と遺伝子変異の組み合わせが、どの程度リスクを高めるかを分析しました。
その結果、以下のような驚くべきデータが示されました。
つまり、「遺伝的な素因」と「ピロリ菌感染」が重なった場合、胃がんになる確率は20倍以上に跳ね上がるというわけです。
また、85歳までに胃がんを発症する確率も明確に差がありました。
ピロリ菌感染のみの人では発症率が約14%であったのに対し、遺伝子変異を持つ人では**46%**と、3倍以上高い数値でした。
これは、がんの原因が単なる生活習慣や運ではなく、体質と感染の組み合わせによって大きく変わることを示す、非常に重要な発見です。
ではなぜ、遺伝子変異があるとリスクが上がるのでしょうか。
研究によると、関与しているのは「相同組換え修復機構(そうどうくみかえしゅうふく)」という、細胞がDNAの傷を修復するシステムです。
通常、ピロリ菌が胃の粘膜を刺激すると、細胞のDNAに小さな傷がつきます。
健康な人ならこの傷はすぐに修復されますが、相同組換え修復遺伝子に異常があると、その修復がうまく働かず、損傷したDNAが残ってしまいます。
その結果、遺伝子の誤りが蓄積して、がん細胞が発生しやすくなるのです。
つまり、ピロリ菌による炎症が「火種」であり、遺伝子変異という「燃えやすい体質」がそれを加速させる──この2つが組み合わさることで、リスクが爆発的に高まるというわけです。

この研究は、単なる発見にとどまらず、今後の胃がん予防やゲノム医療の方向性を変える可能性を秘めています。
これまで胃がんは、「食生活」や「ピロリ菌」が主な原因とされてきました。
しかし最新の研究により、「遺伝的背景+ピロリ菌感染」という二重の要因が、リスクを何倍にも高めることがわかりました。
言い換えれば、私たちは自分の遺伝的リスクを知り、感染を防ぐことで未来を変えられるのです。
胃がんは決して避けられない病ではありません。
定期的な検診、ピロリ菌のチェック、そして必要に応じた除菌治療――それらが最も確実な「がん予防の第一歩」と言えるでしょう。