医療漢字

医療で使われる漢字──常用漢字にない言葉たちの世界

私たちが日常的に使っている「漢字」には、実はさまざまな種類と分類があります。現代では教育の中で習う文字数が定められており、小学校や中学校で教えられる漢字は限られています。しかし、医療の世界に目を向けると、日常生活ではあまり見かけない珍しい漢字が数多く使われています。今回は、医療分野における漢字の使われ方や、その背景にある歴史、そしていくつかの興味深い例についてご紹介します。

常用漢字と表外漢字

常用漢字と表外漢字

現在、日本で公的に定められている「常用漢字」は1945字です。これは国語審議会が定めたもので、新聞や公文書、教育などで一般に使用することを想定した漢字の範囲です。しかし、医療の分野ではこの常用漢字に含まれていない文字が多く使われます。理由は単純で、医学的な表現にはどうしても特定の漢字でなければ意味が正確に伝わらない言葉が多いからです。

たとえば「嚥下(えんげ)」「嘔吐(おうと)」「癌(がん)」「膵臓(すいぞう)」「膣(ちつ)」「腱(けん)」「靭帯(じんたい)」などは、いずれも日常的な文書にはあまり登場しない漢字です。こうした文字は「表外漢字」と呼ばれ、常用漢字には含まれないものの、社会的に必要と認められて特例的に使用が認められています。表外漢字は全部で1022字あり、医療に限らず法律や工学、農学などでも活躍しています。

医療に関連する表外漢字には、次のようなものがあります。
「嚥」「嘔」「癌」「頸(頚)」「脛」「腱」「膵」「膀」「膣」「疼」「痔」「癬」「疹」「腺」「踵」「臍」「靭」「褥」「嚢」「脾」「爛」「痩」「痒」「瞼」「咽」「喉」「腿」「股」など。
いずれも人の体や症状、疾患名を表すために欠かせない漢字です。

医療に関連するJIS漢字

医療に関連するJIS漢字

漢字のもう一つの分類として、「JIS漢字」というものがあります。これはコンピューターやワープロが普及した際に、デジタル機器で扱いやすくするために整備された漢字の規格です。印刷やデータ入力の便宜を図るため、省略や字体の調整が行われました。

JIS漢字にも医療現場で使われるものが少なくありません。例えば「痂(かさぶた)」「痤(にきび)」「瘡(できもの)」「胝(たこ)」「胼(まめ)」「瞳」「橈(とう)」「腓(ひ)」といった文字です。これらは医学用語や解剖学で頻繁に登場しますが、一般文書ではほとんど見かけません。そのためフォントが限られていることも多く、パソコンで正しく表示できない場合もあります。
それだけに、これらの漢字は医療専門用語の中でも“レア漢字”と呼べる存在です。

整形外科でよく使われる漢字

医療分野の中でも特に整形外科では、骨や筋肉、関節に関する漢字が多く使われます。代表的なものとして次のような漢字が挙げられます。
「頸(頚)」「脛」「腱」「靭」「踵」「肢」「趾」「股」「腿」「橈」「腓」などです。

これらの多くは表外漢字やJIS漢字に含まれ、一般的な文書ではあまり使われません。医師の診断書やレポート、医学論文などで目にすることが多い文字群といえるでしょう。

「頸」と「頚」──首をめぐる二つの漢字

「頸」と「頚」──首をめぐる二つの漢字

整形外科でよく登場する「頸」と「頚」という漢字。どちらも「くび」と読みますが、いったい何が違うのでしょうか。

実はこの二つ、もともとはまったく同じ漢字でした。正式な字形は「頸」であり、「頚」はその略字体にあたります。戦後、教育現場で漢字を簡略化する流れが進み、学習のしやすさや印刷の都合から「頚」の使用が広まりました。
ところが近年、パソコンやスマートフォンの性能向上により複雑な漢字も容易に入力・印刷できるようになり、再び「頸」を使う場面が増えています。そのため現在では、医療文書の中でも「頸椎」「頚椎」の両方の表記が混在しており、どちらも正しい使い方とされています。

患者から「頸椎と頚椎は違うのですか?」と質問を受けることもありますが、実際には同じ意味です。どちらを使っても問題はなく、字体の違いに過ぎません。ただし、国が定める方針としては略字体の「頚」が推奨されており、一般的な文書ではこちらが多く使われています。

「脛骨」と俗字の問題

「頸(頚)」と同じような混乱が生じるのが、「脛骨(けいこつ)」という骨の名前です。これはすねの骨を意味する医学用語で、「月へん」に「経」と同じ形をした右側の部首が付きます。

ここで「頸」の例と同じように、画数を減らした簡単な字で書いてしまう人もいますが、実はそれは正式な漢字ではありません。こうしたものは「俗字」と呼ばれ、国が認める正式な字体ではないのです。
医療関係者の中にも、書きやすさを優先して俗字を使う人が少なくありませんが、正式な記録や論文では使用を避けることが望まれます。漢字の字体ひとつにも、正確さが求められるのが医療の世界なのです。

「指」と「趾」──読みは同じでも意味は違う

「指」と「趾」──読みは同じでも意味は違う

「ゆび」という言葉にも、実は二つの異なる漢字があります。
「指」は手の指を指し、「趾」は足の指を意味します。読み方は同じですが、体の部位が異なるため、医療現場では厳密に使い分けられています。
一般的な文章では「足の指」と書かれることが多いですが、医学的には「足趾(そくし)」と表現します。医師や看護師はこの違いを自然に区別しており、正確な表記は診療記録や手術記録でも重要な要素となっています。

「頭蓋骨」と「とうがいこつ」

最後にもう一つ、よく耳にする言葉を取り上げましょう。「頭蓋骨(ずがいこつ)」という言葉は誰でも知っていますが、医療の世界では同じ漢字を「とうがいこつ」と読みます。
これは解剖学の専門用語に由来しており、学術的な文脈では「とうがいこつ」が正式な読み方とされています。もちろん「ずがいこつ」と読んでも意味は通じますが、医療従事者同士の会話や文書では「とうがいこつ」と発音するのが一般的です。
同じ漢字でありながら、読み方や用いられる場面が異なる──これも医療用語の奥深い特徴の一つといえるでしょう。

おわりに

今回紹介したのは、医療で使われる漢字のほんの一部です。
医療の世界では、漢字一文字が人の体の部位や病気の名称を正確に表すために重要な役割を果たしています。常用漢字から外れているものも多く、一般の人にとっては読みにくく、難解に見えるかもしれません。しかし、それぞれの文字には長い歴史と意味があり、医学の発展とともに使われ続けてきた理由があります。

漢字の背景を知ることで、医療の世界の奥深さや、日本語の精密さを改めて感じることができるのではないでしょうか。