
がんの診断を受けた多くの患者さんに、実は「栄養障害」がみられるという報告があります。
栄養障害とは、身体に必要な栄養素が十分に摂取できていない、あるいは利用できていない状態を指します。がん患者さんでは、がんそのものの影響や治療に伴う副作用など、さまざまな理由から栄養状態が悪化しやすいことが知られています。
では、なぜ栄養障害が起こりやすいのでしょうか。主な原因として、がんに伴う炎症、食欲低下、消化吸収の障害、そしてがん悪液質(カヘキシア)と呼ばれる代謝異常が関係していると考えられています。
これらが重なり合うことで、食事から栄養を十分に摂れず、筋肉量の減少や体重減少を招きます。その結果、治療の継続が難しくなったり、合併症のリスクが高まったりするのです。
がん患者さんにとって栄養障害は、まさに「見えない大きな壁」といえるでしょう。ここでは、栄養障害が治療や予後(治療後の経過)にどのような影響を及ぼすのか、そしてその壁をどう乗り越えるかについて考えていきます。
まず、手術を受ける患者さんの場合です。
手術は体に大きな負担を与えるため、体力や免疫力が落ちている状態では合併症が起きやすくなります。栄養状態が悪いと、傷の治りが遅くなったり、感染症にかかりやすくなったりするのです。
実際に、卵巣がんの手術を受けたおよそ600人の患者さんを対象とした研究では、術前に血清アルブミン値が低下していた患者さん(=栄養障害があった患者さん)は、正常な患者さんに比べて術後の合併症が3倍以上、死亡リスクが2倍以上という結果が報告されています。
さらに、手術前から栄養状態が悪い患者さんでは、がんの再発リスクが高く、生存期間が短くなる傾向があることも分かっています。
次に、抗がん剤治療との関係を見てみましょう。
抗がん剤は、がん細胞を攻撃する一方で、正常な細胞にも影響を与えるため、副作用が強く出ることがあります。栄養状態が悪いと、その副作用がより強く現れやすくなり、治療の継続が難しくなることも少なくありません。
たとえば、約200人の乳がん患者さんを対象とした研究では、抗がん剤治療中に「予後栄養指数(PNI)」が大きく低下したグループは、生存期間が短く、死亡リスクが2倍以上であったと報告されています。
つまり、治療中の栄養状態の維持が、その後の経過に大きく影響しているということです。
興味深いことに、東口高志先生の著書『がんでは死なないがん患者』によると、がん患者さんの死因の約8割が感染症だといわれています。
そして、その最大の原因は「栄養障害による免疫機能の低下」だと指摘されています。
つまり、がんそのものではなく、栄養障害によって免疫が落ち、感染症を防げなくなる――これが寿命を縮めてしまう最大の要因なのです。
こうしたことからも分かるように、がん治療において栄養管理は決して脇役ではありません。治療を支える「もう一つの柱」といっても過言ではないのです。
それでは、がん患者さんがこの「栄養の壁」を乗り越えるにはどうすればよいのでしょうか。
第一に大切なのは、タンパク質をしっかり摂ることです。
タンパク質は、筋肉や臓器、免疫細胞などを作るために欠かせない栄養素です。理想的には、1日に体重1kgあたり1.2〜1.5gのタンパク質を摂取することが推奨されています。
たとえば、体重50kgの人なら1日あたりおよそ60〜75gが目安となります。
ある研究では、食事から体重1kgあたり1.5g以上のタンパク質を摂っていた高齢のがん患者さんのほうが、生存期間が長かったという報告もあります。つまり、十分なタンパク質摂取が「長生き」につながっているのです。
しかし実際には、食欲がない、味覚が変わった、喉を通らないなどの理由で、食事から十分にタンパク質を摂るのは難しいという方も多いでしょう。
そんなときは、プロテインや栄養補助食品の利用をおすすめします。
プロテインにはさまざまな種類があり、代表的なものに「ホエイプロテイン」や「大豆プロテイン(ソイプロテイン)」があります。最近は味や香りのバリエーションも豊富で、飲みやすく改良された製品も増えています。自分に合うものを見つけて、無理なく続けることが大切です。
また、消化器の手術後や、抗がん剤の副作用で食事がとりにくい場合には、栄養補助飲料を上手に活用しましょう。製品によって異なりますが、1本で7〜10gほどのタンパク質を摂取できるものもあります。食事が難しいときでも、こうした製品を利用することで栄養状態の維持が期待できます。

栄養状態を良好に保つことは、手術や抗がん剤治療を安全に進めるための基盤であり、再発予防や感染症対策にもつながります。
そして何より、「食べること」は患者さん自身の力を取り戻す第一歩です。食事の工夫やサプリメントの活用はもちろん、必要に応じて医師や管理栄養士に相談しながら、自分に合った栄養ケアを続けることが大切です。
がん治療の現場では、薬や手術だけでなく、栄養を整えることもまた「治療の一部」です。
栄養の壁を少しずつ乗り越えながら、体と心の回復を支えていきましょう。