〜心の負担が身体に与える影響とは〜
がんの原因は、一つではありません。遺伝的な要因、生活習慣、環境、感染症、そして精神的なストレスなど、いくつもの要素が複雑に絡み合い、時間をかけて積み重なった結果として発症します。その中でも、近年注目されているのが「診断前のストレスとがんとの関係」です。
「強いストレスを経験した後にがんを発症した」という話を耳にしたことがある人もいるでしょう。実際、がん患者の多くが診断前に精神的に大きな負担を感じる出来事を経験していたという報告もあります。では、ストレスは本当にがんの発症や進行に影響を及ぼすのでしょうか。

ストレスを感じると、脳の視床下部が刺激され、副腎から「コルチゾール」や「アドレナリン」といったホルモンが分泌されます。これらは一時的には体を守るための防御反応を引き起こし、心拍数や血圧を上げ、緊張状態をつくり出します。しかし、この状態が長く続くと、免疫システムの働きが抑制されてしまいます。
特に、がん細胞を攻撃する「ナチュラルキラー(NK)細胞」や「T細胞」の働きが低下することで、体内で生じる異常な細胞を排除する力が弱まると考えられています。つまり、ストレスが直接がんを「つくる」わけではありませんが、「がん細胞を防ぐ力を弱める」可能性があるのです。
日本人を対象とした多目的コホート研究(10万人規模)では、「自覚的ストレスレベル」と「がん罹患率」との関連が調べられました。その結果、常に高いストレスを感じていたグループでは、低ストレス群に比べて全てのがんの発症率が約11%高かったという報告が出ています。
つまり、ストレスを強く感じる生活を続けることが、がんの発症リスクをわずかに高める可能性があるということです。もちろんこれは相関関係であり、ストレスが単独で原因になるとは言えませんが、「心の状態が体に影響する」ことを示す興味深いデータです。
海外の大規模研究でも、同様の傾向が報告されています。
スウェーデンで行われた約400万人を対象とした調査では、「青年期に親を亡くした人」は、がんの発症リスクが有意に高いことが分かりました。具体的には、膵がんが2.8倍、胃がんが1.8倍、肺がんが1.7倍、直腸がんが1.4倍に増加していました。
若い時期に親を失うことは、精神的に極めて大きなストレスです。この研究は、そのような強い心の痛みが、後年の健康に長期的な影響を及ぼす可能性を示しています。
また、2019年に報告された国際的なメタアナリシス(複数研究の統合解析)では、乳がんの診断前に強いストレスイベントを経験した女性のがんリスクが、経験していない人に比べて平均11%高かったという結果が出ています。中には、リスクが2倍以上に上昇していた研究も存在しました。
このように、ストレスとがんの発症の間には一定の関連があると考えられていますが、それは単純な「原因と結果」ではなく、心身のバランスが崩れた結果として免疫・ホルモン・代謝に影響し、がん細胞の成長を助長するという間接的なメカニズムによるものと推測されています。

がんの発症を経験した人々の中には、「あの時の心の傷が原因だったのかもしれない」と振り返る方も少なくありません。
肺がんステージⅣから回復した乃根武(とね たけし)さんは、自身の著書『僕は、死なない。』の中で、父親との確執を「心の原因」として挙げています。
彼は、幼少期から厳格な父に認められたい一心で「完璧な自分」を作ろうと努力し続けた結果、絶え間ない緊張と自己否定の中で生きていたと語っています。このような“過剰な自己抑圧”は、慢性的なストレスとして心と体に影響し、病の引き金となったのではないかと述懐しています。
このような体験談は科学的証明ではありませんが、多くのがん患者が「抑え込んできた感情を解放したときに心身のバランスが整った」と感じているのも事実です。心の負担が、身体の回復力にまで影響を及ぼすことを考えれば、精神的ケアの重要性は計り知れません。

誰にでも、人生の中で避けられない苦難や喪失があります。問題は、ストレスを「感じないこと」ではなく、「どう受け止め、どう対処するか」です。
ストレスと上手に付き合うためには、いくつかの実践的な方法があります。
場合によっては、ストレスの原因そのものを「断ち切る」勇気も必要です。自分を追い詰める人間関係や環境から距離を置くことは、決して逃げではなく、心身を守るための大切な選択です。
ストレスががんを「直接的に引き起こす」と証明することは、倫理的にも科学的にも難しい課題です。しかし、多くの研究や実際のエピソードが示すように、「心の状態が体に影響を与える」ことは間違いありません。
がんの予防や再発防止において、食事や運動と同じように「心のケア」を行うことが求められています。
人は誰しもストレスを抱えて生きています。しかし、そのストレスとどう向き合うかによって、身体の健康も未来の生き方も変わっていくのです。