私たちは「がん」と聞くと、治療が必要で、放っておけばどんどん進行していく病気というイメージを持つと思います。しかし、世界中の医学の現場では、まれに「何の治療もしていないのに、がんが自然に小さくなった」「いつの間にか消えてしまった」という不思議なケースが報告されています。もちろん、これは非常に珍しいことですが、こうした「自然に消えるがん」には、いったいどのような特徴があるのでしょうか。

通常、がんは放置すれば進行してしまう病気です。しかし、まれに例外があり、治療を行わなくてもがんが自然に縮小したり、完全に姿を消してしまうことがあります。これを「自然退縮」と呼びます。これまでの研究では、こうした現象が起こるきっかけとして「体の急な炎症」「がんの検査(生検)」「感染症」などが関係しているのではないかと考えられてきました。いずれも体の免疫の働きを大きく変える出来事です。
とはいえ、「免疫が活性化してがんが消えた」という直接的な証拠はあまり多くありませんでした。ところが最近、がんが自然に消えた人を詳しく調べたところ、ある遺伝子に特徴的な変化が見つかったという報告が出てきたのです。
2025年1月に発表された医学報告の中に、83歳の女性のケースが紹介されました。彼女はお腹の中にある「横行結腸」という部分に、直径3センチほどの進行したがんが見つかりました。がんは他の臓器には広がっていませんでしたが、周りのリンパ節が腫れていたため、進行した段階(ステージⅢ)と診断されました。
検査でがんが確認されたあと、脱水のために一時的に入院し、体調を整えてから手術を受ける予定になっていました。ところが手術当日、内視鏡で確認すると、がんがあったはずの場所には「がんの痕跡」だけが残っており、がんそのものは消えていたのです。さらに切除した組織を詳しく調べても、がん細胞はどこにも見つかりませんでした。つまり、この女性の大腸がんは、自然に完全に消えてしまっていたのです。

実はこの女性のがんには、検査の段階である特徴的な遺伝子の異常が見つかっていました。本来であれば、私たちの体の中では「DNAの間違いを修復するたんぱく質」が働いて、細胞の設計図を正しく保っています。しかし、この女性のがんでは、その修復に関わるたんぱく質(MLH-1)が失われていたのです。
このように、DNAの修復機能がうまく働かない状態を「ミスマッチ修復機構の欠損」と呼びます。もう少しやさしく言うと、細胞が分裂するときに起こる「コピーの間違い」を直す仕組みが壊れている状態です。その結果、DNAの誤りがどんどんたまり、がんができやすくなります。このタイプのがんは、「マイクロサテライト不安定性(MSI)」と呼ばれる特徴を持っています。
では、このDNA修復の異常が、なぜがんの自然消失につながるのでしょうか。
実はこのタイプのがんは、遺伝子の間違いが非常に多いため、普通のがんよりも「異常なたんぱく質」をたくさん作ります。これらのたんぱく質は、免疫細胞にとって「異物」として認識されやすく、がん細胞の表面に「私はおかしいです」という目印がたくさん立っているような状態になります。
このため、体の免疫細胞ががんを見つけやすくなり、強く攻撃するようになるのです。つまり、免疫の力ががんを自然に退治してしまった可能性が考えられます。このタイプのがんは、実際に「免疫治療(免疫チェックポイント阻害薬)」がとてもよく効くことも知られています。
同じような報告は日本でもあります。2021年、国立がんセンターの研究者たちが発表した報告では、3人の大腸がん患者のがんが、治療をしないまま自然に消えていたという事例が紹介されました。いずれのケースも、生検で小さな組織を採取した後に、がんが完全に消えてしまったのです。その後5年間、再発も認められませんでした。
詳しい検査の結果、3人とも先ほどの女性と同じように「DNAの修復機能が失われていた」タイプのがんであることが分かりました。つまり、自然に消えたがんの中には、この特殊な遺伝子の異常が共通している可能性があるのです。
これらの報告をまとめると、「自然に消えるがん」には共通の特徴が見えてきます。それは、DNAの修復がうまくできないために遺伝子の誤りが多くなり、免疫の目に止まりやすくなっているということです。つまり、免疫の働きが活発な人では、がんが自らの力で抑え込まれる可能性があるのです。
ただし、この現象はごくまれで、すべてのがんに当てはまるわけではありません。実際、日本人の大腸がんのうち、このタイプの遺伝子異常を持つものは10%にも満たないといわれています。それでも、子宮体がんなど、他のがんでも同じ異常が見つかることがあり、自然退縮したがんの多くが、こうした特徴を持っているのではないかと考えられています。

最近では、がんの治療方針を決めるときに、この「マイクロサテライト不安定性」を調べる検査を行うことが増えてきました。これは、治療の効果を予測するためだけでなく、がんがどんな性質を持っているのかを知るうえでも重要な情報です。今後、こうした検査を通じて、がんが自然に消える仕組みがさらに明らかになっていくかもしれません。
がんが自然に消えるというのは、まるで奇跡のような話ですが、科学的にも少しずつその理由が解明されつつあります。
それは「免疫の力」と「遺伝子の異常」の関係に秘密があるようです。とくに、DNAの修復がうまく働かないタイプのがんは、免疫の目に留まりやすく、体の中で自然に抑えられることがあるのです。
もちろん、こうしたケースはごく一部であり、がんが自然に消えることを期待して治療をやめるのは危険です。しかし、このような発見が、将来「自分の免疫でがんを治す」という新しい治療法のヒントになるかもしれません。
今後の研究によって、がんの自然退縮のメカニズムがさらに明らかになり、治療に生かされていくことを期待したいと思います。