今回のお話は、「がん」と深く関係している“遺伝子”や“染色体”の異常についてです。
少し難しそうに聞こえるかもしれませんが、できるだけやさしくお話しします。

私たちの体は、数えきれないほどの細胞でできています。
そのひとつひとつの細胞の中には、「遺伝子」と呼ばれる設計図のような情報が入っています。
この設計図がきちんと働くことで、細胞は正しく増えたり、古くなった細胞が入れ替わったりしています。
しかし、この遺伝子に“キズ”がついたり、“順番”が変わったりしてしまうと、細胞の増え方がおかしくなります。
その結果、必要のない細胞がどんどん増え続ける――これが「がん」の始まりです。
遺伝子の異常にはいろいろな種類がありますが、最近注目されているのが「染色体」という単位で起こる大きな異常です。
染色体というのは、遺伝子をまとめて束ねたものです。
たとえるなら、遺伝子という“言葉”を集めた“本”のようなもの。
その“本”が一瞬でバラバラに破れてしまう――そんな現象があるのです。
この現象は「クロモスリプシス」と呼ばれています。
直訳すると「染色体の崩壊」。
一度にたくさんの場所が壊れることから、研究者のあいだでは「染色体の同時多発テロ」とも呼ばれています。
どういうことかというと、まず染色体が何かのきっかけでズタズタに切れてしまいます。
そのあと、体の修復機能が「なんとか直そう」とするのですが、元の通りにきれいに戻すことができません。
バラバラになったページを順番を間違えて貼り直したり、いくつかのページを失くしたまま本を閉じてしまったり――そんなイメージです。
その結果、本に書かれていた大切な情報が失われてしまうのです。
もしその失われた部分が「がんを防ぐための情報」だった場合、細胞は暴走を始めてしまいます。
つまり、この“染色体の崩壊”こそが、がんの引き金になることがあるのです。

実は、この「染色体の崩壊」は大人だけの話ではありません。
驚くことに、子どものころ、あるいは思春期の段階ですでに起こっているケースがあるというのです。
たとえば2018年に発表された研究では、腎臓にできるがん(腎細胞がん)の患者さんを対象に、がんの部分だけでなく正常な部分も含めて遺伝情報を詳しく調べました。
その結果、がんになる人の多くで「第3染色体」という部分の一部が欠けていることがわかりました。
この染色体の欠け方を詳しく見ると、まさにクロモスリプシス――つまり染色体の崩壊が原因でした。
しかも、この異常が起こる時期を調べると、なんと子ども時代から思春期(0〜20歳ごろ)にかけて、すでに発生していることがわかったのです。
腎臓がんが見つかるのは、一般的に40〜60歳くらいのことが多いですが、実はその何十年も前、まだ学校に通っている頃から“がんの種”ができていたということになります。
似たような研究が、京都大学の研究チームからも報告されました。
2023年に世界的な科学誌『ネイチャー』で発表されたこの研究によると、乳がんの原因となる遺伝子の異常も、思春期の少し前――およそ10歳前後で起こり始めていることがわかりました。
つまり、大人になってからがんになる場合でも、その「最初の一歩」は子どものころにはすでに踏み出されていた可能性があるのです。

こうした結果を聞くと、「そんなに早い時期に始まっているなんて、もう防ぎようがないのでは?」と思うかもしれません。
実際、現時点では、なぜ子どものころにこうした遺伝子や染色体の異常が起こるのかは、まだはっきりしていません。
生活習慣なのか、偶然の細胞のミスなのか、それとも何か環境的な影響があるのか――研究はまだ続いています。
また、一度起こってしまった遺伝子の変化を元に戻すことは、今の医療ではほとんど不可能です。
ですから、「これをすれば絶対に防げる」という方法はありません。
正直なところ、ある意味“どうしようもない”部分もあります。
とはいえ、こうした研究が進むことで、将来のがん予防や早期発見に大きな可能性が生まれています。
もし将来的に、「この子は将来こういうがんのリスクが高い」と予測できるようになれば、早い段階から検査を受けたり、生活習慣を整えたりすることで、がんを小さいうちに見つけることができるかもしれません。
また、がんの“始まり”がどのタイミングで起こるのかが分かれば、そこを狙った新しい治療法や予防法の開発にもつながります。
たとえば、壊れた染色体の再生を助ける技術や、崩壊を防ぐような仕組みをつくる研究も始まっています。
このように考えると、子どものころの健康や生活環境は、思っている以上に将来の体づくりに関係しているのかもしれません。
もちろん、染色体の崩壊そのものを完全に防ぐことは難しいですが、体の細胞がなるべくストレスを受けないようにしてあげることはできます。
たとえば、
・しっかり眠る
・バランスの良い食事をとる
・適度に体を動かす
・必要以上に紫外線を浴びない
・タバコや過度な飲酒を避ける
こうした基本的な生活習慣が、細胞を健康に保つための“土台”になります。
私たちの体は毎日、目に見えないレベルで修復を繰り返しています。
その修復がスムーズにいくようにサポートしてあげることが、未来のがん予防につながるのです。

今回のお話をまとめると、
ということになります。
私たちが大人になってから受ける検診や治療は、実は何十年も前に始まっていた“物語”の続きなのかもしれません。
そう思うと、今をどう生きるか――それが未来の健康をつくる第一歩なのだと、改めて感じます。