すい臓がん(膵がん)は「最も治療が難しいがん」と言われることが多い病気です。発見が遅れやすく、再発もしやすいため、従来の治療法では十分な成果が得られにくいのが現状でした。しかし近年、がんの遺伝子解析技術が進歩し、遺伝子変異の特徴に基づいた「分子標的治療薬」が続々と登場しています。
その中でも、「ルカパリブ(Rucaparib)」という新しい薬がすい臓がんの一部で効果を示したという報告が注目を集めています。今回は、この最新の研究成果と、薬がどのように働くのかをわかりやすく解説します。

すい臓がんは、早期発見が難しく、診断されたときには進行していることが多いため、治療選択肢が限られています。外科手術ができないケースでは抗がん剤治療が中心となりますが、効果が続かず再発してしまうことも少なくありません。
しかし近年、がんの遺伝的特徴に注目した「がんゲノム医療」の進展により、一部のすい臓がん患者で、遺伝子変異に応じた精密医療(プレシジョン・メディシン)が可能になってきました。特に「BRCA遺伝子変異」を持つ患者では、通常のがんと異なる治療反応を示すことが分かっています。
ルカパリブは「PARP阻害薬」と呼ばれるタイプの分子標的薬です。これは、がん細胞のDNA修復を妨げることで細胞死を誘導する仕組みを持ちます。
私たちの体では、DNAが日常的に損傷を受けていますが、細胞はそれを修復する機能を持っています。この修復に関わるのが「PARP(ポリADPリボースポリメラーゼ)」という酵素です。
一方、BRCA遺伝子はDNAの二本鎖切断を修復するための重要な役割を担っています。
このBRCA遺伝子に変異があると、二本鎖のDNA損傷を修復できなくなり、細胞は不安定になります。ここにPARP阻害薬を投与すると、DNA修復の両方の経路が断たれ、がん細胞は自ら修復不能となり死滅するのです。
この仕組みを「合成致死(synthetic lethality)」と呼び、正常な細胞には影響を少なく、がん細胞だけを狙い撃ちにできるのが特徴です。
2024年5月、医学誌『Journal of Clinical Oncology』に、ルカパリブの第2相臨床試験(国際共同研究)の結果が発表されました。
対象となったのは、以下の条件を満たす42名のすい臓がん患者です:
この患者たちは抗がん剤治療を中止したのち、ルカパリブを1日2回(600mgずつ)服用し、病状が悪化するまで継続されました。

結果は非常に有望なものでした。
この結果から、ルカパリブはBRCAやPALB2の遺伝子変異を持つすい臓がんに対して有効で、安全性も高いことが示されました。
特に「がんが小さくなった」患者の割合が40%を超えたというのは、進行すい臓がんの治療としては極めて注目すべき成果です。
すでに同じタイプの薬である「オラパリブ(Olaparib)」は、BRCA遺伝子変異を持つ治癒切除不能なすい臓がん患者に対して、日本でも承認されています。
今回のルカパリブは作用機序こそ同じですが、構造や代謝の違いにより、より長く効果を維持できる可能性が指摘されています。副作用も比較的軽度であり、次世代のPARP阻害薬として期待されています。
現在、ルカパリブはアメリカで前立腺がんや卵巣がんなどに対して承認されていますが、すい臓がんではまだ承認段階に至っていません。
今後、第3相臨床試験の結果次第で、アメリカでの適用拡大、そして日本への導入が進む見込みです。
この薬のポイントは、「誰にでも効く薬」ではないということです。
BRCA1/2やPALB2の遺伝子変異を持つ患者だけが対象となります。
つまり、すい臓がんと診断された段階で、がん細胞や血液を用いた遺伝子検査(コンパニオン診断)を受けることが非常に重要になります。
日本でも、がんゲノム医療中核拠点病院や連携病院などで「がん遺伝子パネル検査」が行われています。
これにより、患者ごとの遺伝子変異を調べ、最も効果が見込まれる治療薬を選ぶ「オーダーメイド治療」が現実になりつつあります。

今回の臨床試験結果は、進行すい臓がんの治療における大きな一歩といえます。
これまで限られた治療法しかなかったすい臓がんにおいて、遺伝子変異を手がかりに薬を選ぶ「精密医療」が確実に進んでいるのです。
将来的には、ルカパリブがオラパリブに続く新たな治療の選択肢となり、より多くの患者さんに希望をもたらす可能性があります。
さらに、PARP阻害薬の開発は食道がんや胃がん、胆道がんなど他の消化器がんにも広がっており、今後のがん治療の大きな柱になると期待されています。
すい臓がんの治療は長年「難治」とされてきましたが、がんゲノム医療の進化によって確実に光が差し始めています。
「あなたのがんの性質に合わせた治療」が、これからの標準となっていく時代が近づいているのです。