近年、がん治療をめぐる考え方は大きく変化しつつあります。標準治療が確立されている一方で、「がんとうまく付き合いながら生活する」という視点に注目が集まっています。今回取り上げる「がん共存療法」も、その一つとして話題となっている治療アプローチです。
先日、あるニュース記事が大きな反響を呼びました。それは、「がんを患った医師が実践する『がん共存療法』—糖質制限ケトン食の可能性」というタイトルの記事で、多くのがん患者さんが関心を寄せたと思われます。この記事の中心となっているのは、緩和ケア専門医であり、『病院で死ぬということ』の著者として知られる山崎章郎(やまざき・ふみお)氏が、自ら進行がんを患ったことを機に始めた「がん共存療法」です。
本稿では、山崎氏の治療の経緯と「がん共存療法」の内容、さらにその背景となる研究知見を紹介しながら、この治療法がどのようなものなのか、そして現時点でどこまで期待できるのかを解説したいと思います。

山崎氏が提唱する「がん共存療法」は、がんを完全に消し去ることよりも、「増殖を抑え、がんと共に生活する」ことを目的にした治療法です。「がんが存在していても、増えなければすぐに命に関わることはない。だからこそ、増殖を抑えることができれば共存は可能である」という考え方に基づいています。
この治療法は、次の3つを組み合わせたものです。
なかでも中心となるのが「MDEケトン食」と呼ばれる食事療法です。
山崎氏が、がんを自覚したのは2018年頃のことでした。腹部に「ごろごろ」と鳴る腹鳴の症状が出たため検査を受けたところ、進行したS状結腸がんが見つかりました。転移はなかったため手術を受け、その後、再発予防のために内服抗がん剤(ゼローダ)を開始します。
しかし、強い吐き気や下痢、食欲低下、手足症候群などの副作用に悩まされ、治療の継続が難しい状況となりました。さらに術後6カ月のCT検査で、肺に多発転移が見つかってしまいます。ステージ4という厳しい状況において、主治医は標準治療として別の抗がん剤をすすめましたが、山崎氏は前治療の副作用や生活の質を考え、治療方針について悩むようになりました。
「がんと共存する」という考えに至り、自身で調べた結果を踏まえ、従来とは異なるアプローチとして「がん共存療法」を試す決心をしたといいます。
MDEケトン食は、以下の3つを組み合わせた食事療法です。
これに加え、糖質を1日30g以下に抑え、脂肪を中心に摂取するケトン食を実践します。ケトン食は、糖質を極端に減らすことで、体がブドウ糖ではなく「ケトン体」をエネルギーとして利用するように導く食事法です。
近年、ケトン体の一種「β-ヒドロキシ酪酸(BHB)」ががん細胞の増殖を抑制する可能性があると、2022年の科学雑誌『ネイチャー』が報告したことから、注目を集めています。ただし、大規模な臨床試験がまだ少なく、エビデンスは確立されていないのが現状です。
山崎氏は、1日30g以下の糖質制限に加え、ケトン体生成を高めるためにMCTオイルを1日40g程度摂取していたと述べています。

2019年9月から3ヶ月間、MDEケトン食のみを継続した山崎氏。その結果、CT検査では肺の多発転移の多くが消失し、残った転移も大幅に縮小していたといいます。
しかしその後、食事療法のみでは再度転移が大きくなる傾向が見られ、クエン酸療法を追加。さらに少量の抗がん剤(通常量の約15分の1)を追加することで、転移の進行を抑えることができたといいます。
特に少量抗がん剤は、腫瘍を急激に縮小させる目的ではなく、「がんを休眠状態にすること」を狙った治療です。大腸がんに使われるイリノテカンを極めて少量投与することで、副作用を軽減しつつ、腫瘍の増殖を抑えることを目標としています。
最終的に、転移は「不変」、つまり進行が見られない状態が約2年間続いたと報告されています。
この治療法については、2023年1月から、東京都小金井市の聖ヨハネ会桜町病院で臨床試験が開始されています。対象は、大腸がん術後に肺や肝臓への転移があるステージ4の患者さんとのことです。希望者は病院のウェブサイトから問い合わせが可能です。
ただし重要なのは、この「がん共存療法」は、現時点では個人の経験に基づくものだということです。理論的な裏付けはあるものの、臨床的な有効性はまだ証明されていません。したがって、標準治療と比較した効果や安全性は、今後の臨床試験のデータが不可欠です。

がん治療は一人ひとり状況が異なり、「これが正しい」と言い切れる治療法はありません。山崎氏が示した「がん共存」という考え方は、従来の治療に苦しむ患者さんにとって、一つの選択肢として興味深いものといえるでしょう。
しかし、現時点ではまだエビデンスが確立されていない段階です。情報を正しく理解しながら、標準治療との違いやリスクを踏まえて判断することが大切です。進行中の臨床試験が、がん共存療法の有効性を明らかにするかどうか、今後の結果が期待されます。