新型コロナウイルスの感染が世界中で広がったとき、「どんな薬が感染を防げるのか」「治療に使えそうなものは何か」と、たくさんの研究が一斉に始まりました。ワクチンや新しい薬が次々と登場しましたが、実はその影で「すでに使われている薬のなかにも、感染を抑える働きを持つものがあるのではないか?」という視点からの研究が静かに進んでいました。
その中で注目されたのが、「ある種類の抗がん剤を使っていた人に、新型コロナの感染が少なかった」という驚くべき報告です。今回はその内容をご紹介します。

新型コロナウイルスは、人の体の細胞に侵入するとき、“鍵”と“鍵穴”のような仕組みを使います。
ウイルスの表面には「スパイクタンパク質」という突起があり、これが細胞の表面にある ACE2(アンジオテンシン変換酵素2) という“鍵穴”に結びつくことで、細胞の内部へ入ることができます。肺の細胞などにはこのACE2が多く存在するため、肺炎を起こしやすい理由の一つと考えられています。
つまり、細胞にあるACE2がウイルスの入口になってしまうわけです。
この仕組みを逆に利用して、
といった方法が研究されるようになりました。
今回ご紹介するのは、ACE2の量を減らす働きを持つ可能性がある薬を探した研究です。

2021年8月、アメリカのメモリアル・スローン・ケタリングがんセンターが
医学誌 JAMA Oncology に興味深い研究を発表しました。
研究では、まず 1835種類の薬 をコンピューター上で分析し、ACE2を減らす可能性がある薬を探しました。その結果、91種類 が候補となり、そのなかには実際にがん治療で使われている 8つの抗がん剤・分子標的薬 が含まれていました。
その8つとは次の通りです。
普段からがん治療に使われている薬ばかりですが、まさか「ACE2を減らす働き」を持っているとは、多くの医師にとっても意外な結果でした。
研究では次に、「本当にこれらの薬を使っていた患者さんは感染しにくかったのか?」を調べるため、実際のデータが解析されました。
対象となったのは、2020年3〜5月という流行初期に、抗がん剤治療を受けていた 1701人のがん患者さん。全員がPCR検査を受けていたため、感染の有無を正確に比較できます。
その結果──
●ACE2を減らす可能性がある抗がん剤を使っていた人
215人中 15人が感染(7.0%)
●それ以外の抗がん剤を使っていた人
1486人中 191人が感染(12.9%)
つまり、前者は後者に比べて 感染率が47%低かった ことになります。
特に、長年使われている抗がん剤 ゲムシタビン(ジェムザール) を使っていた患者さんでは、感染率が58%低かった という大幅な減少が見られました。
年齢や性別、人種、がんの種類、ステロイドの使用歴など、感染に影響しそうな多くの条件をそろえて比べても同じ傾向が出ていたため、かなり信頼性の高い結果といえます。

結論から言うと、一般の人がコロナ予防のために抗がん剤を使うことは絶対にありません。
抗がん剤は強い副作用があり、必要な患者さんに適切に使うことが前提です。健康な人が気軽に飲めるような薬ではありません。
今回の研究が示しているのは、
「抗がん剤の一部がACE2を減らす働きを持ち、結果として感染率が下がった可能性がある」
という“事実の発見”です。
これは、将来の治療薬や予防薬の研究にとって、大きなヒントとなります。
今回の研究からわかったことは次の3つです。
“抗がん剤がコロナに効く”という話ではありませんが、偶然のように見える出来事の裏側には、科学的に説明できる仕組みが隠れているものです。
こうした研究が積み重なることで、将来より安全で効果的な治療法につながるかもしれません。
今回の発見も、そんな未来へのヒントのひとつと言えるでしょう。