「プラセボ(プラシーボ)効果」という言葉を耳にしたことがある方は多いでしょう。プラセボとは、本来は薬としての有効成分を含まない偽薬のことで、臨床試験では比較対象として用いられます。内服薬であれば乳糖やでんぷんが、点滴では生理食塩水などが使われ、薬理作用を持たないはずのものです。しかし、この本来“効かない”薬が、患者の期待や思い込みによって症状を改善することがあり、これをプラセボ効果と呼びます。
痛み止めとして渡された偽薬を本物だと信じて服用した結果、実際に痛みが軽減する例は古くから知られています。では、この心因的な作用は、がんのような深刻な病気にも影響を及ぼすのでしょうか。つまり、抗がん剤ではなくプラセボであっても、がんが小さくなったり、まれに消えてしまったりすることがあるのか──この疑問を検証した研究が近年報告されています。

2016年、医学誌 Critical Reviews in Oncology/Hematology に注目すべき論文が発表されました。研究者たちは、進行した固形がんを対象に行われた61件のランダム化比較試験のデータを解析し、プラセボ群に割り付けられた計7,676人の治療成績を調べました。
その結果、画像検査などで「客観的にがんが一定以上縮小した」と判定された患者の割合は 1.95%。100人のがん患者に偽薬を投与した場合、約2人に腫瘍の縮小が見られたという計算になります。決して高い数字ではありませんが、完全にゼロではない点が興味深いところです。
がんの種類によって差もあり、プラセボ効果が比較的高く見られたのは以下のがんでした。
これらはいずれも免疫の関与が強いと考えられているがんであり、心身相関の影響が比較的反映されやすい可能性が指摘されています。

さらに近年、eClinical Medicine(Lancet姉妹誌)に、より新しい試験データを用いた解析結果が報告されています。この研究では、新たに45件のランダム化比較試験に参加した5,684人の進行がん患者のプラセボ群を解析しました。
全体の奏効率は 1% と、先の研究よりやや低い値でした。しかしがんの種類別に見ると、次の疾患で比較的高い奏効率が認められています。
ここでも一部のがんでプラセボによる腫瘍縮小が見られるという結果が示されました。
奏効のほとんどは腫瘍の一部が縮小する「部分奏効」であり、がんが完全に消える「完全奏効」は極めてまれでした。評価対象となった3,808人のうち、完全奏効はわずか 4人(0.1%) にとどまりました。
2つの研究を総合すると、進行がんにおいてプラセボが腫瘍縮小に寄与する可能性は 1〜2%程度 といえます。これは非常に低い確率であり、プラセボががんを治す治療法として期待できるわけではありません。
しかし、全くのゼロではないこともまた事実です。この存在し得るわずかな奏効は、人体の治癒力、免疫機構、あるいは心の働きが複雑に関与していることを示唆しています。特にメラノーマや前立腺がんなど、免疫反応が治療効果を左右しやすいがんで奏効率が高いという点は、今後の研究の手がかりともなるでしょう。

プラセボ効果そのものは科学的に認められている現象ですが、がん治療に関しては「まれに起こり得る現象」にすぎません。とはいえ、患者の心の状態が治療への向き合い方や生活の質に影響を与え、結果として免疫機能に好影響を与える可能性は否定できません。
医学がどれほど進歩しても、心と体のつながりは切り離すことができません。がん治療においても、精神的な安心感や信頼感が治療全体のプロセスに良い影響を与えることは確かです。プラセボ効果の研究は、こうした“心身一体の医療”の重要性を再認識させてくれるものだといえます。