― 最新研究を医師がやさしく解説 ―
がん治療において最大の課題のひとつは、「転移」をいかに防ぎ、メカニズムを正確に理解するかという点にあります。転移とは、最初にがんが発生した部位からがん細胞が離れ、血液やリンパ液を介して他の臓器へ移動し、そこで新たな腫瘍を形成する現象です。このプロセスはがんの進行を大きく左右し、治療成績に深く関わります。
近年、世界中でがん転移に関する研究が急速に進み、これまでの常識を覆すような新たな発見が次々と報告されています。本記事では、特に注目されている最新研究をもとに、がん転移に関する驚くべき新事実を3つ、医療的解説を交えて丁寧に紹介していきます。

これまで、がん組織の内部は“無菌”であると考えられてきました。しかし近年、がんの種類によっては10~70%の症例で腫瘍内から細菌が検出されることが明らかになっています。特に乳がんや膵がんにおいては、その割合が顕著に高いと報告されています。
では、がん内部に存在する細菌は何をしているのでしょうか。
2024年4月に科学誌「Cell」で発表された研究では、がん細胞に細菌が侵入すると、がんの転移能力が高まるというメカニズムが示されました。転移の最初のステップは、がん細胞が血管内へ侵入することです。しかし血管内は強い圧力がかかる環境で、多くのがん細胞は押しつぶされて死んでしまいます。
ところが、細菌が侵入したがん細胞は内部の骨格構造が強化され、血流の圧力にも耐えられるようになります。結果として、遠くの臓器に到達して生き残る確率が大きく上昇します。
つまり、腫瘍内の細菌は単なる「居候」ではなく、がんの転移を“手助けする存在”として働いているのです。今後は、がん細胞だけでなく腫瘍内細菌を標的とした新しい治療法の開発が期待されています。

がんの転移は、まず近くのリンパ節に進み、その後に遠隔臓器へ広がることが多いと言われています。しかし「リンパ節転移がどのように全身転移へつながるのか」という詳細なメカニズムは長らく不明でした。
2024年5月、同じく「Cell」誌に掲載された研究では、マウスの皮膚がんモデルを用いてこの問題が解き明かされました。
ポイントは、リンパ節で起こる「免疫寛容」という現象です。
がん細胞がリンパ節に転移すると、リンパ節内で免疫細胞とがん細胞の相互作用が発生します。本来なら免疫細胞はがんを排除すべき存在ですが、がんは巧妙に免疫細胞の働きを変化させ、自分を攻撃しないよう“教育”してしまうのです。
これは、いわば免疫細胞の基地であるリンパ節に入り込み、兵隊を手なずけて味方にしてしまうようなものです。その結果、がんは全身に転移しやすい環境を作り出すことに成功し、血液を介して様々な臓器へ広がっていきます。
この研究によって、リンパ節転移は単なる“中継地点”ではなく、全身転移を促進する重要なプロセスであることが明らかになりました。治療戦略の考え方にも大きな影響を与える発見と言えます。

さらに驚くべきことに、がんの転移が“睡眠中に進みやすい”という研究結果も発表されました。2024年6月、医学雑誌「Nature」に掲載された研究では、乳がんにおける転移の進行が夜間睡眠時に活発になることが示されています。
乳がん患者の血液中を循環するがん細胞(CTC)を測定したところ、午前4時に採取した血液の方が午前10時より圧倒的にCTCが多く、78%が夜間に検出された細胞だったことが報告されました。つまり、睡眠中に血液中へ流れ込むがん細胞が増加しているということです。
さらにマウスモデルでも同様の現象が確認され、休息期に増加するCTCは転移能力そのものも高いことが明らかになりました。
この理由としては、体内時計(サーカディアンリズム)を制御するホルモン――メラトニン、テストステロン、グルココルチコイドなどが、がん細胞の活動性に影響している可能性が示唆されています。
「では、がん患者は眠らないほうがいいのか?」と思われるかもしれません。しかし、睡眠不足は逆にがんの進行を早め、生存率を下げることが多くの研究で示されています。そのため、睡眠はしっかり確保することが重要です。
今後の応用としては、夜間に増加するCTCを狙って、夜間に抗がん剤の濃度を高める治療法など、新たな戦略の開発が期待されています。
本記事では、最新研究から明らかになったがん転移の新事実を3つ紹介しました。
これらの研究成果は、がん治療の新しい方向性を示すものです。複雑な転移の仕組みが解き明かされつつある今、将来的にはより効果的な治療法や予防法が生まれることが強く期待されます。