
がんという病気は、多くの方にとって人生を大きく揺るがす出来事です。とりわけ進行が進んだステージ4という状況では、本人も家族も深い不安に包まれ、日々の過ごし方や治療の選択について悩みが尽きません。今回は、ある著書に記された体験談を手がかりに、がんと向き合う際の「心の姿勢」や「治療との出会い」について考えてみたいと思います。
取り上げるのは、『僕は、死なない。』という体験記に描かれた、全身に病が広がった状態から回復への道を歩んだ一人の男性の物語です。著者である刀根健(とね たけし)さんは、心理学を教える仕事をされていた方ですが、2016年、50歳の時に思いもよらず肺がんを告知されます。きっかけは、会社の健康診断で不整脈を指摘され、その精密検査として胸部CTを撮影したことでした。そこで偶然、肺に影が見つかり、さらに詳しい検査を受けたところ、リンパ節や骨にも転移が確認され、ステージ4の肺腺がんと診断されました。
当時の治療データでは、推奨された抗がん剤治療でも生存率が高くないという情報を目にし、副作用への恐れもあり、刀根さんは標準治療に踏み切れず、代替療法や民間療法に活路を求めたといいます。漢方、気功、サプリメント、陶板浴、ヒーリングなど、できる限りの方法を試し続け、少しでも病の進行を抑えようと努力を重ねました。しかし、9か月後に再度検査を受けると、がんはさらに進行し、首のリンパ節、脳、骨など全身に広がる危険な状況となっていました。

このとき刀根さんは、自力ではどうにもならない現実に向き合い、「サレンダー」と呼ばれる心境を経験したといいます。「サレンダー」とは、あきらめるという意味ではなく、「自分の力だけで何とかしよう」という気負いから離れ、状況そのものを受け入れ、委ねる心のあり方です。すべてを抱え込んでいた肩の力がふっと抜け、体と心が軽くなる感覚を覚えたとされています。
その後、刀根さんは東大病院への入院を決め、改めて遺伝子検査をお願いしました。以前にも検査を受けたはずでしたが、ここで再検査を依頼したことが大きな転機となります。結果はALK融合遺伝子陽性。この遺伝子異常は非小細胞肺がんの中でも一部の方に見られる特徴ですが、特定の分子標的薬が高い効果を示すことが知られています。
そして、刀根さんはその分子標的薬による治療を開始しました。すると驚くほど早く薬が効果を発揮し、腫瘍は短期間で小さくなり、脳の転移に関しても画像上でわからないほど縮小したといいます。1か月後には退院が可能となり、その後も健康を保ちながら、ご自身の体験を伝える活動を続けておられます。
ここで、刀根さんが回復へと向かった要因について、体験記をもとに考えてみます。
再検査を求めるという積極的な行動が、効果的な治療への道を開きました。がんには種類や性質の違いがあり、治療薬の効果も人によって異なります。ご自身の病状を理解しようと働きかけたことが、治療の選択肢を広げるきっかけになったと言えるでしょう。

サレンダーという体験は、刀根さんが自分の力だけで病を抑え込もうとする頑なさを手放し、状況そのものを受け止めた瞬間でした。不安や恐れの中で治療を「仕方なく受ける」状態ではなく、治療そのものを信頼して受け入れる心境は、治療に向き合ううえで大切な要素なのかもしれません。
もちろん、体験談はあくまで一例であり、誰にでも同じ結果が得られるわけではありません。しかし、病気と向き合う過程には、「医学的な選択」と「心のあり方」という二つの軸があることを、この物語は静かに語りかけています。
がんと向き合う道のりは決して平坦ではありません。だからこそ、自分の状態を知り、必要な情報を自分から取りに行く姿勢、そして自分ではどうにもできない部分を受け入れ、治療や周囲の支えに委ねる姿勢は、誰にとっても大切なヒントになるのではないでしょうか。
今回は『僕は、死なない。』に描かれた体験から、ステージ4という厳しい状況の中でも生きる希望を見出した一つの物語をご紹介しました。病気と向き合うすべての方が、自分にとって大切な「選択」と「心のあり方」を見つけるきっかけになれば幸いです。