
これまで、がんの転移は、原発がんがある程度大きく成長してから起こると考えられてきました。がん細胞は周囲の組織や血管、リンパ管に入り込み、遠くの臓器に移動して新たな腫瘍を形成するというイメージです。この「成長後に転移する」という従来のモデルは、長年がん研究や臨床の基盤となってきました。しかし、最近の研究では、この常識を覆すような結果が報告され、がんの転移はもっと早い段階で起こる可能性があることが示されています。
一例として、すい臓がんのモデルがあります。ある研究では、原発がんができる前の段階、つまり前がん病変が発生した時点で、すでに他の臓器に転移が起こっている可能性があることが示されました。この発見は、がんの進行や治療の考え方に大きな影響を与えるものです。今回は、この「早期転移」、いわゆる「かくれ転移(stealth metastasis)」について詳しく解説します。
従来のがん転移モデルでは、原発がんがある程度大きくなるまで転移は起こらず、腫瘍が浸潤して血管やリンパ管に侵入し、遠くの臓器に移動してから新たな腫瘍を形成すると考えられていました。しかし、臨床の現場では、このモデルに合わないケースが報告されてきました。
たとえば、すい臓がんでは、初期の小さながんであっても高頻度で転移が起こることがあります。また、乳がんの中でもステージ0の非浸潤性乳管癌(DCIS)で、血液中に腫瘍細胞が確認されるケースもあるのです。さらに、原発がんを手術で切除した後、数年経って遠隔臓器に転移が発見されることもあります。これらの症例は、原発がんが大きく成長してから転移するという従来のモデルでは説明できません。つまり、もっと早い段階から転移が起こっている可能性があるのです。

最近、こうした早期転移の可能性を裏付ける研究が報告されました。名古屋大学の研究グループは、遺伝子改変マウスモデルを用いて、すい臓がんの前がん細胞、初期がん細胞、後期がん細胞に蛍光色素を付け、その挙動を追跡しました。
その結果、驚くべきことに、前がん段階の細胞が血液中に侵入し、肝臓や肺に移動していることが確認されました。さらに、前がん細胞は移動先の臓器で肝細胞や肺組織として一見普通の細胞に紛れ込んでおり、外見からは転移と判断できないこともわかりました。研究チームはこれを「かくれ転移(stealth metastasis)」と名付けました。この「隠れた転移」は、すでに臓器に存在しながら腫瘍として検出されず、時間の経過とともに腫瘍化する可能性があるのです。
この研究から、すい臓がんの細胞は、がん化する前の段階で既に他の臓器に転移し、そこで生息しながら後に腫瘍化するという、新しい転移モデルが示されました。つまり、ある臓器に前がん病変ができた時点で、血液中にその細胞が流れ、他の臓器にすでに到達している可能性があるということです
注意すべき点は、これは動物実験に基づく一つのモデルであり、すべての人のすい臓がんに当てはまるわけではないということです。しかし、同様に早期から転移する可能性があるという報告は、乳がんや大腸がんなどでも報告されています。
この研究結果が示すのは、すい臓がんにおいては、早期に発見して手術で原発がんを取り除いたとしても、潜んでいる「かくれ転移」の細胞を完全に排除することは困難であるということです。そのため、手術だけではなく、手術前後の補助化学療法(抗がん剤)によって、他の臓器に到達して潜んでいるがん細胞を攻撃する必要があります。
実際、すい臓がんの臨床研究では、手術前に抗がん剤治療を行うことで、手術後の肝臓転移の出現率が約50%から30%に低下したという報告があります。また、転移がんに免疫細胞が多く集まっている患者ほど長生きすることも知られており、患者自身の免疫力を高めることも「かくれ転移」のがん化を防ぐうえで重要と考えられます

今後の課題は、「かくれ転移」を早期に検出する方法の開発と、潜んでいる細胞ががん化するのを防ぐ治療法の確立です。これらの研究が進めば、すい臓がんだけでなく、乳がんや大腸がんなど、さまざまながんの転移予防や治療成績の向上につながる可能性があります。
今回の研究は、がんの転移が「原発がんが大きくなるまで待ってから起こる」という従来の常識を覆すものであり、がんの早期発見と治療戦略に新たな視点を提供しています。今後も、こうした「かくれ転移」の理解が進むことで、より効果的ながん治療が可能になることが期待されます。